2012年4月に関越自動車道で起きた夜行バスの死亡事故の運転手は、中国残留孤児の息子だった。著者は、事故に関するインタビュー記事を契機にひとりの残留孤児に心惹かれる。池田澄江。中国の徐明から数えて、四つ目の名前で本名にたどりついた。
 澄江らは08年、東京に「中国残留孤児の家」を設立した。今は台東区にあり、「孤児」と便宜的に使うが、澄江は「『中国残留孤児』は、あの戦争から生まれた屈辱の名前です」と言う。著者は、この家に集う中国帰国者や2世たちと並走する。餃子作りの場に顔を出し、広島の帰国者との交流や原爆ドーム見学へ同行し、この家が集めた募金で完成した中国・四川省の村の小学校を訪れる。
 そんな中で、人なつこく著者に接する帰国者たちの実相が浮かび上がる。2世もいじめられたこと、年長の帰国者の大多数は女性であること、残留婦人に光が当たっていないこと、身元不明者が多いこと……。彼らの演劇に出てくるセリフ「孤児はあなたたちの中に、あなたたちの傍にいる」が胸を衝く。

週刊朝日 2016年2月5日号