ときは2019年。「私」こと前島トリコは45歳。結婚歴なし、子どもなしのフリーターである。ネットに逃避していたが、あるマンガを読んでショックを受け、〈人生は一度だけ。なのに私は無為に過ごしてしまった〉と思ったトリコは睡眠薬をひと瓶飲んで自殺を図った。目が覚めると、そこは1989年1月。バブル真っ只中の渋谷だった。
樋口毅宏『ドルフィン・ソングを救え!』はそんな設定ではじまる虚実ないまぜになったタイムトリップ小説だ。89年に飛んだトリコは〈これは生き直しのチャンスを与えられたのだ〉と考える。ならば何をすべきか。〈私はひとつの決断へと導かれていく。/私がドルフィン・ソングの殺人事件を阻止する〉。
「ドルフィン・ソング」とは島本田恋(ボーカル)と三沢夢二(ギター)の二人の男性によるユニットで(「フリッパーズ・ギター」を彷彿させぬでもない)、90年前後に人気を博したが、91年10月27日、夢二が恋を刺殺して必然的に解散。夢二には死刑判決が下った。夢二が獄中で書いた小説が新人文学賞の佳作をとって芥川賞候補にもなったが、事件から16年後、夢二の刑は執行された。
青春のすべてだったドルフィン・ソングの事件を阻止すべく、一念発起したトリコは音楽ライターとなって存在感を発揮していくが……。
なんというか、派手な設定の小説である。タイムトリップ、音楽業界、雑誌業界。バブル期のさまざまな風俗や音楽方面のトリビアルな知識を織り込みながら物語は進行し、〈歴史よ、私はおまえの言いなりにはならない〉とうそぶくトリコは、夢二と恋愛関係にまで発展するのだ。
ただし、いまいち物足りないのはアイディアに文章が追いついていないせいかも。既存の作品からの引用やパスティーシュもいいが、こだわりや書き込みが圧倒的に足りない。読者を巻き込むにはこの2倍のボリュームは必要だ。初出は雑誌「ブルータス」。当時をノスタルジックに思い出すだけならいいけどね。
※週刊朝日 2016年1月29日号