坂崎:僕らがデビューした年ってバンドがすごく多くて。第二のガロやチューリップを目指せって感じで、各社が競うようにバンドをデビューさせてた。僕らもその一つだったんです。
高見沢:「オリジナル曲を書こう」と決意したのはそのときです。遅っ!(笑)。レコード会社を辞めて、もう一度ライブハウスから出直そうと思った。だからあの事件は、いい刺激だったんですよね。もしも発売中止しないでヒットしてたら、今ここにはいないかもしれませんね。
「陰の人事部長」と呼ばれて
――契約解除後は、研ナオコやかまやつひろしなどのバックバンドを務めながら、全国のライブハウスを回った。根強いファンを獲得し、デビュー9年目に「メリーアン」が大ヒットした。
坂崎:売れてない頃も悲壮感みたいなのはなかったよなぁ。
高見沢:うん。解散の話もでなかったし……と思ってたら、最近になって実は桜井が考えてたってことを知りました(笑)。
桜井:違う違う。解散じゃなくて、俺が抜けようと思ったことがちょっとあったってことね。2人の足を引っ張ってるのかなとか悩んだ時期もあったのよ。
高見沢:何をおっしゃいますか! 足など引っ張っていません。
坂崎:あなたの声があってこそのアルフィーなんだから。
桜井:ていう感じで、結局ここまで続いちゃった(笑)。まあ色々言っても、50年やってきたことが事実だからね。
坂崎:うん。僕らは楽観的なんだけど、ただ家に帰って一人になったときに、不安に襲われたことは皆あったと思う。このままじゃ絶対無理だって。でも次の日また2人に会って、練習したりライブの曲を決めたりしていると、不安がすっと消えるんだ。「やっぱり面白いなぁ、次はこれやろうよ」ってなる。
桜井:あの頃は1年で4枚曲を出して、その度に全国をプロモーションで回ってた。朝のラジオ体操から参加するんですよ。
坂崎:色んな会社の営業所とか回ってたからさ。飲み会なんかにも参加して「陰の人事部長」なんて言われてた(笑)。