たとえば、2007年11月にチリのテレビ局で放送されたチャリティ番組。この番組には、売春を職業としている女性が参加し、「27時間の性行為」をオークションにかけたところ、最終的に約4000ドル(44万円)の値がついた。この金額は番組に寄付され、貧しい人たちや障害のある人たちの支援に役立てられたという(ちなみに、チリでは売春は合法)。

 2005年には、ベッカムの妻で元スパイス・ガールズのビクトリアがチャリティでヌードとなり、写真集や写真付きTシャツを販売した。また2015年末には、イギリスの名門オックスフォード大学の女子ラグビー部のメンバーが、グラウンドで裸になってラグビーを行う写真を掲載したヌードカレンダーを製作、販売したケースもある。こちらは、摂食障害の人たちを支援するためのチャリティである。

 その他にも、パリス・ヒルトン、高岡早紀、観月ありさ、台湾のトップモデルたち、イギリスの動物園の飼育員など、様々な女性たちがチャリティのためにヌードになっている。もちろん、女性だけでなく、大学のボート部学生や消防士など多くの男性もチャリティでヌードになっている。

《参考》
http://jp.reuters.com/article/idJPJAPAN-29103920071129
http://www.huffingtonpost.jp/2015/12/04/the-important-reason-this-rugby-squad-is-posing-nude_n_8725310.html
http://matome.naver.jp/odai/2128591896419257201
http://spotlight-media.jp/article/186776333371071033
http://tabi-labo.com/221286/frenchfirefighter/

●反対するときに求められる「ロジック」

「おっぱい揉ませるのとヌードではワケが違う」と思う読者もいるだろう。しかし、何が不快で何が不快でないかの感覚は個人的なものであり、線引きは難しい。ヌードはOKで、おっぱい揉みはNGだとするならば、その違いは何か。アイドルの握手会は良くて、AV女優のおっぱい揉みはダメだとするならば、その差は何なのか。それは極めて感覚的な問題で、それをロジカルに説明するのは難しいことではある。

 個人的に言えば、僕も「おっぱい募金」については好感を持っていない。女の子たちがずらりと並んでおっぱいをさらけ出し、男たちが順番にそのおっぱいを揉んでいくという絵面は、とても美しい光景だとは思えない。しかしだからと言って、この「おっぱい募金」を中止すべきとも思わない。なぜなら、人が誰かの行為に対して「不快だ」と表明するのは自由だが、署名活動まで行って中止を強いるためには、恣意的な感覚や感情でなく、「ロジック」が必要だからだ。

 ちなみに「寄付」に関して言えば、僕は「違法でなければ何でもOK」という立場だ。だからこの「おっぱい募金」に対しても、そのやり方に好感は持てないとしても、中止を求めて活動することも主張もしない。前述したチリの売春婦によるチャリティも賛否両論あるが、チリでは売春が合法である以上、売春して稼いだ金を寄付することには何の問題もないと思っている。

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