批評家の東浩紀さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、批評的視点からアプローチします。
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旧ユーゴスラビアを取材で回っている。1990年代に凄惨な内戦が起きた場所だ。
冷戦崩壊前、この地域ではカトリックのクロアチア人と正教徒のセルビア人とイスラム教徒のボシュニャク人が共存していた。それが旧ユーゴ崩壊とともに衝突を始めた。地域は七つの国に分かれ、凄惨なスレブレニツァ虐殺も起きた。
内戦終結からすでに四半世紀が経過したが、傷は残る。ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボは、セルビア系住民の軍事組織によって4年の包囲を経験した。多数の市民が銃撃され命を落とした。他方でセルビアも99年にNATOによる軍事介入を経験した。介入は内戦終結を導いたが、首都への空爆は民間人の犠牲者を出した。
サラエボ出身で今はセルビアに住む哲学者に話を聞いた。平和は政治ではつくれない、文化こそ本質だと強調していたのが印象に残った。
サラエボは文化的に豊かな街だった。3民族だけでなくユダヤ人やロマも混住していた。東西文明の交差点に位置し、街並みもトルコ風とオーストリア風が混ざっていた。それが今はかつてのベルリンのように二つの地域に分かれ、民族ごとに棲み分けている。
民族分離は停戦のため不可避だったにちがいない。しかし悲しい結末でもある。3民族は共通の言葉を話していた。文学や芸術の伝統も共有していた。それが今は三つの異なる言語とされ、教育も分断されている。本当の平和はそんな政治的な分断が消え、かつての文化的混在が復活した時に訪れる、というのが哲学者が言いたかったことだろう。
サラエボは84年冬季五輪の舞台としても知られている。旧ユーゴはかつて東西両陣営の架け橋を期待された国だった。その夢はいまは土産物の中にしか存在しない。
取材中に欧州議会選の結果が出た。フランスやドイツで極右が急伸した。日本でも移民への警戒感が高まっている。異文化の共生は確かに難しい。分離するのは楽だし現実的だ。しかしいちどその道を選んだら二度と取り返せない価値もある。そんなことを考えた。
※AERA 2024年7月1日号