2015年も年の瀬。甚大な被害をもたらした「東日本大震災」から、5回目の年末を迎えようとしています。3.11前後や年末年始など"特別な時期"以外、東日本大震災に関するニュースを目にすることは減ってきていますが、震災復興や原発危機対応は「日本国」が現在進行形で取り組んでいる大きな課題であり、日本人として決して忘れてはいけないことなのではないでしょうか。
石橋湛山賞を受賞した『原発危機の経済学』(日本評論社刊)、さらに『震災と経済』(東洋経済新報社)などの著作のある一橋大学大学院教授の齊藤誠さんは近著『震災復興の経済学』のなかで、震災復興政策や原発事故に起因する賠償や廃炉の基本方針の意思決定プロセスついて詳しく検証、その問題点を指摘していきます。
たとえば発災直後の、ある政策決定についての問題点。
2011年3月23日、内閣府の経済財政分析担当は、物的ストックの毀損額で見た震災被害額が最低でも16兆円、最悪の場合、25兆円にも膨れ上がるという推計を発表しています。しかし、齊藤教授は消防庁などの各省庁の被害報や、国土地理院や総務省統計局が公表した統計データを忠実にふまえていれば、内閣府のこの発表は「過大推計であることは明白」(同書より)と断言。さらに問題は、その過大推計がその後も下方修正されることがなかったことだといいます。
「内閣府の拙速な推計は、復興予算策定のもっとも基本的で決定的な『政策エビデンス』となり、膨大な規模の復興予算が策定される重要な契機となっていったのである」(同書より)
結果、真の復興に資することのない過剰な投資が行われ、その継続負担が今後、当該自治体にのしかかることで復興が遅れるどころか、地域の疲弊をもたらす可能性も多いにあるというのです。
さらに原発事故対応に関しても、損害賠償額や廃炉処理の見通しがまったく見えていなかった2011年3月25日に、東京電力に対する公的資金注入の実質的な役割を果たすことになる原子力損害賠償支援機構(原賠機構)が設立される流れを決定付けるなど"拙速な政策決定"が下されている点、しかもその後もそれが改められることがない点を齊藤教授は問題視します。
あの緊急時においては、そうした"過ち"も致し方なかった――そうした言葉を口にしたくなる人もいるかもしれませんが、齊藤教授は「しかし本当にこれでよかったのであろうか。いや、過去形ではなく、現在進行形として、本当にこれでよいのであろうか」(同書より)と問い質します。
「『東北の復興なくして日本の再生なし』という政治的スローガンは、復興予算の規模を適正化するどころか、さらに肥大化させる方向に働いた。一方、『福島の復興なくして日本の再生なし』という政治スローガンは、原発事故対応の統一的なフレームワークが形成される契機となるどころか、政治によって国民にアピールする政策パーツだけがつまみ食いされる事態を生んでしまったのである」(同書より)
十分なエビデンスのないまま、途方もない震災復興政策を策定し、それを改められない今の状況に警鐘をならす齊藤教授。なぜあの時、合理的な政策決定が下せなかったのか。我々はどのような事実から目を逸らしてしまったのか......。震災復興政策や原発危機対応がもたらす影響は、まだまだ長期に及びます。齊藤教授は、こうした諸々の政策を再検討することは、けっして遅すぎることではないと言います。
「むしろ一〇年先、四半世紀先、半世紀先に、震災復興の過剰で、あるいは原発危機対応の不徹底で私たちの社会に悲惨な事態がもたらされることを是が非でも回避するためには、(政策の再検討は)避けて通ることができない知的な作業であると思う」(同書より)
避けて通ることのできない知的な作業。これを行うか、行わないかで日本の未来は大きく変わってくるのかもしれません。