テレビコラムニストのナンシー関さん(故人)にも、中山はたびたび酷評されていた。お笑い好きの彼女にとって、中山は生ぬるいバラエティの象徴のような存在だった。

 たしかに「本格お笑い至上主義」の立場から見れば、みんなから「ヒデちゃん」と呼ばれているあの男が、浅瀬で水遊びをしている甘っちょろい芸人崩れにしか思えないかもしれない。

 だが、中山が歩んできた道を振り返ると、彼がテレビのエンターテイナーとしてそれなりに筋の通った生き方をしてきたことがわかる。ダウンタウンを頂点とする本格志向のお笑いとは別の流儀で、彼もしぶとく芸能界を生き延びてきた。

 中山がMCを務めた『THE夜もヒッパレ』は、さまざまな芸能人やアーティストが持ち歌ではない最新ヒット曲を歌うだけの、お気楽なカラオケ番組のように見えていた。

 しかし、中山の著書によると、本物のライブのように「順撮り」で収録が進められるため、現場は緊張感に包まれていた。収録の2~3日前に歌の楽譜とテープをもらい、必死に練習をして本番に臨むこともあった。

他のバラエティ番組でよく顔を合わせていた出川哲ちゃん(出川哲朗)や、ダチョウ倶楽部のみんなから「『ヒッパレ』には出たい。でも出るのは怖いよ。だってスタジオの緊張感がハンパないからね」とよく言われました。出演者、スタッフ、全員がプロ、妥協を許さない空気が番組づくり全体に漂っていました。/中山秀征『いばらない生き方 テレビタレントの仕事術』(新潮社)より抜粋

 ダウンタウンが世に出てから、テレビバラエティの世界では芸人が覇権を握った。芸人がたくさん出ている番組、お笑い志向の強い番組ばかりが重宝されるようになり、それ以外のジャンルのバラエティが過度に見下されるようになった。

一切ブレなかったヒデちゃん

 しかし、時代が変わっても中山は一切ぶれなかった。今田に冷たくされても、コラムニストに酷評されても、お笑い好きになめられても、彼はファイティングポーズを保ってリングに立ち続けた。そして、そこで結果を残し、自分の地位を築いてきた。

 50代後半の今も、中山は年下の共演者から親しみを込めて「ヒデちゃん」と呼ばれる。彼が持っているのは「なめられる才能」だ。ある意味では、お笑い信奉者の誰もがその才能に知らず知らずのうちに呑み込まれていたのかもしれない。

「ヒデちゃん」と「お笑い」の仁義なき戦いは、中山と今田の和解でいったん幕を閉じた。バラエティ界の静かなるドン・中山は、このお笑い全盛時代にも慌てず騒がず、淡々と与えられた仕事をまっとうしている。(お笑い評論家・ラリー遠田)

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ラリー遠田

ラリー遠田

ラリー遠田(らりー・とおだ)/作家・お笑い評論家。お笑いやテレビに関する評論、執筆、イベント企画などを手掛ける。『イロモンガール』(白泉社)の漫画原作、『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと「めちゃイケ」の終わり<ポスト平成>のテレビバラエティ論』 (イースト新書)など著書多数。近著は『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)。http://owa-writer.com/

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