長年に渡りバラエティ番組で活躍する中山秀征
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 中山秀征はつかみどころのない不思議なタレントである。デビュー当初にお笑いコンビとして活動していた時期もあったが、今では芸人というイメージは皆無。俳優業の仕事をこなしつつ、基本的にはバラエティを主戦場としている。

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 日常的にテレビを見ている人の中で、中山秀征について真剣に考えたことがある人はほとんどいないのではないか。長年にわたって番組のMCを任されるようなポジションにいるのに、中山という人間のことは誰も気に留めない。視野に入っているのに見過ごされる空気のような存在だ。

 彼がこれまでに出演してきた番組も、『DAISUKI!』『ウチくる!?』をはじめとして、楽しげなゆるい雰囲気を見せることに特化したものが多く、本格志向のお笑い番組はない。

 そんな彼は、90年代に急速に台頭してきたダウンタウンを筆頭とする吉本芸人一派とその信奉者たちから仮想敵とみなされていた。

今田耕司とピリピリ

 1993~1994年に放送されたフジテレビの深夜番組『殿様のフェロモン』では、共に司会を務めた中山と今田耕司の間にピリピリした空気が流れていたという。そのときのことは、先日刊行された中山の著書『いばらない生き方 テレビタレントの仕事術』(新潮社)にも詳しく書かれている。

 番組が始まる前の決起会で中山が今田に話しかけても、そっけない答えしか返ってこない。本番が始まると、今田は中山の振りには答えず、薄いリアクションを返すのみ。中山のことを「ヒデちゃん」とは呼ばず、頑なに「中山クン」と呼び続ける。「生放送の現場で自分を潰しに来ている」と中山は感じていた。

 出演者全員を生かそうとする中山の「テレビバラエティ」の流儀と、出演者全員で潰し合って何とかして笑いをもぎ取る今田の「お笑い」の流儀は最後まで噛み合わず、番組は半年で終了してしまった。

 その後、長い年月を経て2人は和解した。久しぶりに会った今田は中山に当時の非礼を詫びて「あのスタジオでテレビのことをわかっていたのはヒデちゃんだけだった」と語った。

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ラリー遠田

ラリー遠田

ラリー遠田(らりー・とおだ)/作家・お笑い評論家。お笑いやテレビに関する評論、執筆、イベント企画などを手掛ける。『イロモンガール』(白泉社)の漫画原作、『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと「めちゃイケ」の終わり<ポスト平成>のテレビバラエティ論』 (イースト新書)など著書多数。近著は『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)。http://owa-writer.com/

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