合氣道では、体の動きを見るのではなく、相手の発している氣をみます。修行時代、私は師匠の藤平光一から、何度もそれを言われました。

 あるとき様子のおかしな弟子がいて、私は「大丈夫?」と声をかけたんです。すると、その子は「大丈夫です」と答えたので、放っておいたんです。でも、その後で、問題が発覚しました。私は師匠から、「口で言ったことをうのみにするのは、何もしていないに等しい。発している氣をしっかりみなさい」と注意を受けました。

 ただ、自分の心がガサガサしていると、何もわからなくなるのです。「こういうふうに相手を変えてやろう」とか、先入観で「あいつはこうなのだろう」と思っていると、とくにそうなるのです。これは、「あるがままを見る」ということにも通じています。

コミュニケーションは「50対50」で考える

 合氣道だけでなく、どんな関係においても、形のない“氣”が相手と通じていることは、みなさんも理解できるのではないでしょうか。たとえば、あなたがイライラしていたら、いつのまにか相手もイライラし始めた、なんてケースはよくあることだと思います。

「ねえ、何か怒ってる?」と聞かれ「別に怒ってないよ」と答えますが、全身からは怒気が漏れていて、それを感じた相手は不安になってしまうのです。

 このように、よくない氣も伝わりますが、もちろん、よい氣も伝わります。道を歩いていて、見ず知らずの人が嬉しそうに歩いているのを見て、思わずこちらもハッピーな気持ちになったことがあるでしょう。これも氣が伝わっているからなのです。

 せっかくなら、よい氣でつながっていたいものです。そのためには、やはり、相互のコミュニケーションが大事なことは言うまでもありませんね。

 工藤公康さんは、こんな話をしてくださいました。

「コミュニケーションって“フィフティ・フィフティ”で考えなきゃいけない。だから、私のほうから『ふだん、部屋で何やってんの?』とかって聞きます。

『Netflix観てます』って答える子には『おすすめの作品ある?』とか聞いて、私もそれを観てみる。で、『あの韓国ドラマ、面白いなあ。5話目まで一気見しちゃったよ』などと共通の話題をつくって話しかけるんです」

 工藤さんの話を聞いて、九重龍二さんは驚きながら、こんな感想を告げました。

「工藤さんでも、そんなことするんですね。失礼ながら、俺、今日まで、工藤さんってめっちゃ怖い人かと思っていたので。プロ野球で、あれだけ活躍した人ですから。俺の師匠(元・千代の富士)と同じにおいを感じ取っていたんです。この人の心の中にも鬼がいるんだろうなって(笑)。だから、今日も緊張してきたんですけど、まさか、自分から選手に話しかけて、選手から薦められた韓国ドラマ観てって話を聞くとは思いませんでした」

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