25日、小池百合子東京都知事が、6月20日告示、7月7日投開票の都知事選に出馬する意向を固めたと報じられた。都議会定例会で表明するとみられる。3選を目指す小池氏。その人物像に迫る論評をあたらめて紹介する(この記事は、5月1日に配信したコラムの再掲載です。年齢や肩書等は配信時のままです)。
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作家・北原みのりさんの連載「おんなの話はありがたい」。今回は小池百合子と権力について。
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「今度こそダメだね。もう言い逃れできないね」
近所の書店で最新の「文藝春秋」を買った友人が、レジ越しに顔見知りの書店員にそう言われたそうだ。都知事の学歴詐称疑惑である。側近であった小島敏郎さんが都知事の疑惑について「文藝春秋」で語り、日本外国特派員協会で記者会見まで開いた。ここまできたら「もう言い逃れできないね」というのは、庶民のフツーの感覚だろう。それでも、今の時点で多くのメディアは「すん」としている。いったい、小池百合子さんは何に守られているというのだろう。
私が小池さんにもつ感情は“モヤモヤ”の一言につきる。“モヤモヤ”とは、いくら考えても対象物への理解の解像度があがる予感がしないときに味わう中途半端な諦念感情だ。小池さんへのモヤモヤは相当なのだが、それは「小池百合子」という名は今後、日本の女性史で欠かせない人として記録されていくから、に尽きるかもしれない。なにしろ小池さんほど「女性初」の冠を持っている女性はいないのだ。女性初の自民党総裁選出馬、女性初の防衛大臣、女性初の都知事……最高権力周辺での“女性初”を小池さんは次々に手にしてきた。 “女性初の総理大臣”を手に入れる可能性だっていまだにゼロじゃない。
超男社会の政界で“女性初”を手に入れるのがどれほど困難なことなのかを、私たちは遠巻きに見てきた。野田聖子さんや田中真紀子さんなど、政治家として恵まれたスタートを切り、人気も実力も人脈も地盤も資金もある女性たちであっても、権力の中枢に近づく瞬間に足を掬われる、男に裏切られる、組織に傷つけられてきた。一方、小池さんは手痛い目にあいながらもその傷も含めて昇り続けている。男尊社会で女はどのように権力の中枢に近づき、どのようにそれを手に入れるのか。高邁な志と実直な人柄だけでは近づけない日本の天辺は、どのような女に拓かれているのか。今の日本で、「女性と権力」について考えるときに小池さんほど適格な人材はいない。