実家を出て、母親のありがたみが分かると皆が口を揃えて言う。しかし、わたしは歳を重ねるごとに、いっそう母親を理解できなくなっていった。
どうして何もわからない子供に、自分の感情をぶつけるばかりだったのか?
自分が大人になればなるほど、母親の未熟さが浮き彫りになり、母親と遺伝子の半分を共有している自分のことも気持ち悪くなる。
私は教育にはお金を出してもらっているし、飢えた事もない。もっとひどい親はこの世に確かに存在するのだろう。
しかし、「産まなきゃよかった」「死ね」と幾度となく自分に言ってきた人をどうして好きになれるだろうか。
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「産まなきゃよかった」という言葉をかけられて、子供はどうするのが正解なのか?
そもそも頼んで産んでもらったわけではないのに、何より力の無い子供は家庭から逃げることなんてできないのに。
「愛していなければ育てたりしない」と、母親は口論になるたび言う。
確かにその通りだろう。養育費を払えなかった父親よりも、母親のほうが私のことを愛していることは知っている。どうして自分は母親からもらった物質的な愛情を、愛情として認識することができないのだろう。
母親を心の底から好きになることも嫌いになることもできず、世間で褒められる親孝行な子供にもなれていない自分のことも嫌いだ。
それでも心の中では、褒めてもらえずに賞状を破り捨てたあのときの自分が、認めてもらうのを待っている。
大変そうな母親を笑顔にしたい。自分を産んで良かったと思ってほしい。
幼少期に得るべき肯定や愛、親からの興味関心を、私は今でも追い続けている。
大学院に在籍する現在も、研究や就活で良い結果が出れば真っ先に母親に見せたいと思う。