たとえば、松井さんがずっと憧れていたという劇団☆新感線の舞台への出演について書いた「呼吸の置き方、学び方」の一文。本項では、普段なかなか素人が知ることのできない俳優業の裏側について綴られている。松井さんはモナ(シェイクスピアの『オセロー』におけるデズデモーナである)役を演じる。しかし演出のいのうえひでのりさんから、「松井玲奈では強すぎる」と言われてしまう。つまりモナは、観客や周囲の人間から愛されて守ってあげたくなるような役柄にならなくてはいけないのに、松井さんは基本的にメンタルがマッチョなのだ、さあどうする!という悩みが率直に綴られるのである。正直、普段舞台や映画を見る側からすると、役作りといえば外見を作り上げることくらいしか想像がつかず、メンタルの部分をいかに作り上げるか、という点をこんなふうに赤裸々に書いてくれたエッセイは初めて読んだのでとても面白かった。「強すぎる」がために困ることもあるのか、と少し私は笑ってしまった。が、それにしても俳優とは因果な商売である。弱さも強さも、苦手も得意も、すべてまとめてそれは演じる材料になるのだ。

 そう、本書はある意味で松井玲奈というひとりの俳優が、水槽に潜ってひとりで自分の好きなことや嫌いなこと、あるいはできることやできないこと、自分とはどういうことを感じ、どういうふうに呼吸する人間で、そしていったい何がしたいのかということを、具に観察し言語化し、そしてまた水槽から出て演技に用いる、その過程を綴ったエッセイ集でもある。――もちろん、彼女の生活すべてが演技のためにあるなどと言いたいわけではない。しかしそうではなく、ひとつひとつ自分のやりたいことや好きなことや苦手なことを点検しながら文章に落とし込む彼女のエッセイを読んでいくと、不思議とそこには、松井玲奈というひとりの俳優の姿が浮かび上がる。それは私生活ではどこかで水槽に潜らなければ、舞台というスポットライトの光を浴びる場所で輝けない、因果な俳優という仕事に取り憑かれたひとりの仕事人の記録でもあるのではないか。そんなことを思うと、一読者としては腑に落ちるものがやっぱりあるような気がしてくる。

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