阪急大阪梅田駅に隣接する阪急ターミナルビルと新阪急ホテル(左)=2022年5月、大阪市北区
この記事の写真をすべて見る

 大阪の梅田駅。複雑で難解な構造で地元民でも時に迷う高難度スポットだ。人はなぜこの駅で迷子になるのか。街の歴史と駅の成り立ちを識者に聞き、実際に歩いた。AERA 2024年5月27日号より。

【図を見る】これぞ「梅田ダンジョン」! 梅田駅周辺の地図はこちら

*  *  *

 新年度も1カ月以上が経過し、新たな生活に少しずつ慣れてきた人も多いだろう。長くその地に暮らしていても混乱したり迷ったりする場所がある。その代表ともいえるのが大阪・梅田地下街ではないだろうか。地下の通路は迷路のようにアップダウンしたり、入り組んでいたりして、「梅田ダンジョン」とも称されている。

 なぜ、梅田の地下街が難解になったのか。

「高度成長期を経て『キタ』こと梅田は戦後から復興し、地上部は高度成長期に一気に市街地化しました。その後に梅田の地下街が段階的に発展してきた歴史があります。地上部と地下街が別の動きで発展してきたという経緯があります」

 そう話すのは立命館大学教授で都市空間の形成過程に関する地理学的研究を専門とし、『大阪 都市の記憶を掘り起こす』の著書もある加藤政洋さんだ。

 加藤さんは江戸時代からの盛り場である大阪のミナミについて研究してきたものの、再開発などにともなう変転著しいキタにも関心を向けるようになり、梅田の地下街にあった串カツ店などが撤去されたことなどを目の当たりにし、地下街の歴史を再考しはじめたという。

地下街はもとは通行路

「梅田地下の通路の上には大きな道路が通っています。地下街のはじまりは、まさに通路として開発されたもので、地上部の道路が斜めに走っていれば、地下の通路もまた斜めの形状となります。面的な広がりはほとんどありませんが、そこにビルの地階が接続するなどして、複雑きわまりない空間へと発達しました」

 確かに「大阪駅前南」という地上の交差点に立つと広い道路が斜めに広がっているのがわかる。東の方角には阪急百貨店が蜃気楼のように見える。目には見えているのに、なかなかたどりつけない。

次のページ