
そして相手が十分弱まり、失敗をする機会を待った。ひたすら耐えて待った。その瞬間が来た時、一気呵成に激しく退路をたったかのごとく攻め立てた。
相手の動揺は想定通りだった。感情的になり、うろたえて、取る行動もバラバラになり、戦力も予想以下に弱まっていた。力はあるものの相手の取る行動はさらに自らを弱めるものばかりであった。
そして危ない局面もあったが結果は出た。これだけ準備して耐えても戦いは思い通りにならない局面もあるのだ。とはいえ一気呵成に攻めて決着はついたところで、相手を追い詰めるのはやめた。そもそも手強い手負いの相手を「猫を噛む窮鼠」にしてはいけない。
逆襲の可能性もないほどに相手の戦意と戦力が低下したことを確認すると、相手にこちらに協力する機会を与えた。協力の姿勢は示したものの、さすがに具体的な協力はあったかどうか定かではないが、逆襲は全く受けなかっただけでもよしとした。
これらの行動は孫子の兵法に正確にのっとったものだった。「風林火陰山雷」という戦法だ。武田信玄が自らの旗にこの戦法を記すほど、こよなく愛した孫氏の兵法の一節である「風林火山」。
これは「攻めるときには疾風のごとく、機会をうかがうときには林のように息をひそめ、襲う時は燃え盛る火のように一気呵成に、守りは山のようにどっしりと自陣を固める」という意味である。
さらに、「陰」とは「自身の戦力や戦略などは、徹底的にひた隠しにして相手に知られないようにする」という意味だ。そして最後の「雷」は「動くときには、雷のように激しく動く」という意味だ。
アホと戦わざるを得ない時は「風林火陰山雷」でいくしかない。二千数百年の時空を超えて生き抜いた戦法は現代でこそ輝くのである。しかも舞台はグローバル。国籍や国境を超えて通用したのだ。
しかし、最高に後味が悪かった。価値のあった戦いだが戦う価値のある相手だったかと言えばそうではなかったと思う。
戦いに勝ってもホッとはしたが全然嬉しくなかった。勝つための努力も虚しく辛かった。心身ともに疲れ果てた。正面から戦うことを避け、最高のパフォーマンスを発揮すべくアホを踊らすことができれば、それに勝ることはない。
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