もう一つ大事なのがリアルなイメージトレーニングです。小さい頃は、大会の前日になると、ふとんの中で目を閉じ、入場やレース、そして表彰台に立つ自分の姿などを細かくイメージさせるようにしていました。

――幼児教室でも、将来の自分をイメージして絵を描く課題を与えると、璃花子さんはいつも五輪の表彰台の真ん中で金メダルをかけている自分の絵を描いていたそうですね。

 本に璃花子が小学3年生のときに描いた絵を載せています。2位の女の子の隣には「ペルー人」、3位の隣には「インド人」と書いてあり、具体的なイメージができています。夢をかなえるには、まず強く思うことが大事です。

池江選手が赤ちゃんだった頃、母・美由紀さんはおむつ替えのたびに親指を握らせて体をつりあげていた(『あきらめない「強い心」をもつために』(池江美由紀著、アスコム)から)
池江選手が赤ちゃんだった頃、母・美由紀さんはおむつ替えのたびに親指を握らせて体をつりあげていた(『あきらめない「強い心」をもつために』(池江美由紀著、アスコム)から)

 子どもたちの夢や目標を描いた絵は教室の壁に貼っています。璃花子は12歳までは私の生徒でもあったので、子どもたちには「みんなの先輩の池江璃花子選手も同じように強くイメージしたから五輪出場の夢がかなったんだよ」と伝えています。

 子どもたちが夢を語ったときには、「日本一の」「世界一の」とつけるようにしています。小さい子は特に現実的でない夢の場合もありますが、例えば「キリンさんになりたい」という子には「世界一背の高いキリンさん」、「お嫁さん」という子には「世界一きれいなお嫁さんになろうね」のように。夢を持ったときには、それに向かって努力することにつなげることが大切だと思うからです。

――璃花子さんは19年に白血病を発症し、10カ月間入院しました。璃花子さんは闘病中も、必ずプールに戻るという強い思いやイメージを持っていたのでしょうか。

 直接そうした気持ちは聞いていないんですけど、当然思っていたはずです。

――入院中、仕事を調整して璃花子さんにできるだけ付き添っていたそうですね。本には10本以上の点滴につながれた姿を「まるで、璃花子が壊されていくようでした」と記しています。母親としてどのような心境だったのでしょう。

 とにかく病気が早く治ってほしい、ただそれだけでした。娘が病気になってしまった絶望と、トップアスリートとしての道を絶たれた絶望という二重の苦しみに押しつぶされそうなときもありました。当時は、私自身も人に会うのが本当につらかった。普通、家族が深刻な病気になったとき、ごく親しい人にしか伝えないけど、璃花子のことはみなさんの知るところになりました。自宅は下町にあり、近所の人もみんな知っているんです。ただ、仕事は社会的責任がありますし、私は女性の一つの生き方のモデルとして、一人で子育てをしながら自分の人生もしっかり生きていくという思いもあったので、毅然(きぜん)としていないと、という気持ちもありました。

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病室で「ママにもマッサージをしてあげて」