帰国第一作、井上梅次監督の「三人の顔役」に出演。長谷川一夫の情婦で、バーのマダムに扮する(1960年 週刊朝日 7月24日号)
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4月29日は「昭和の日」。レトロブームで若年層もその文化に注目しているが、ネットもない時代のスターを知る情報は限られている。「昭和の日スペシャル」として、時代を象徴するような人物をピックアップ。今回は、戦後の大女優の京マチ子。彼女を研究した本の紹介から、その魅力に迫る(この記事は、2019年6月11日に配信した週刊朝日2019年6月14日号からの抜粋の再掲です。年齢、肩書などは当時)

 令和になってほどなく、京マチ子が亡くなった。95歳だった。

 私が映画館によく通うようになった1970年代後半、京はすでに大女優だった。海外の映画祭でグランプリに輝いた「羅生門」(黒澤明)、「雨月物語」(溝口健二)、「地獄門」(衣笠貞之助)に出演するなど、日本映画の黄金期である1950年代を代表する女優として存在していた。しかし、ビデオが普及していなかった当時、彼女の過去の出演作を観る機会はほとんどなく、その女優像を理解することは難しかった。

 北村匡平『美と破壊の女優京マチ子』は、奇しくも京が亡くなる3カ月前に世に出た。北村は彼女の映画史を、戦後間もない「肉体派ヴァンプ女優」から「国際派グランプリ女優」、そして「演技派カメレオン女優」を経て「映画・テレビ・舞台女優」と4期に分け、京マチ子という女優がいかに多くの顔をもっていたか明らかにする。変幻自在な演技は、彼女の最大の魅力だった。

 京は<女性らしさ(フェミニニティ)と男性らしさ(マスキュリニティ)を合わせもつ唯一無二のペルソナ>であったと、北村は説いている。その成果として、彼女が登場するスクリーンには<極上の美と破壊性が共存>した。まだ30歳代のこの映画研究者は、その証しとして、重要な作品群をほれぼれするほど的確に描写し、千変万化する女優の凄味を読者に伝えてみせた。

 いったいどれほどの時間を京の出演作と関連資料に費やしたのだろう……北村の研究に感服しつつ、私はこの本を読んでようやく、戦後の日本を代表する「国民女優」に、近づけたような気になっている。

週刊朝日  2019年6月14日号