三男・賢太さんの1歳の誕生日のお祝いを自宅で行った際に撮影した写真/ダルビッシュ有さんは後列右(写真:ダルビッシュ郁代さん提供)

 この“ばっちり”に向け、まず翔さんが歩き出した。21年夏。日雇い労働者の街として知られる大阪・西成の釜ケ崎で仲間とともに炊き出しを開始。賛同者や企業に食材を寄付してもらい、調理や配布、片づけはすべてボランティアで担う。今年3月末で130回を超えた。賢太さんも上京して俳優業に就くなどして、現在は大阪へ戻り、パーソナルトレーナーを経て、サプリ会社を経営している。賢太さんは言う。

「有と比べられ、良い格好しいで意地っ張りで未熟な時期もあったが、そんな自分に気づいた」

 そうして兄弟がそれぞれの道を歩み始めていた22年、賢太さんに精巣がんが見つかった。

 有は郁代さんには「賢太、大丈夫なん?」と心配して聞いてきた。賢太さんにはしばらく直接の連絡はなかったが、手術前に、動物の動画が送られてきた。弟が大の動物好きと知っていたのだ。賢太さんは言う。

「少し不器用だけど、それが有の愛情。僕は、がんになって、『有、大好き、愛してるよ』って素直に言えるようになった。翔に対しても同じ。『僕は兄貴たちのこと好きやで』って伝えたい。なぜなら、自分は死ぬかもしれないと思ったからです」

 23年のWBC。後輩やチームへの献身が伝えられ、SNSなどで「ダルビッシュが変わった」「成長した」と言われた。そのことについて、賢太さんは、「高校生の頃から後輩の面倒見はいいし、自分の技術は惜しみなく伝えていた。そうした本来の人間性がWBCで出たのかな、と思います」と話す。

 郁代さんも「成長を感じる部分があるのと同時に、変わっていないなとも感じます」と話す。(ジャーナリスト・島沢優子)

AERA 2024年4月22日号より抜粋

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