その社長が99年に体調を崩して退任し、専務だった塩野元三氏が後任に就いた。2年後、国内最大の製薬会社の社長から塩野氏に電話が入り、「クレストールの国内販売権を買い取る交渉を始めるので、よろしく」と告げられる。親しい同士だったので、「仁義」を切った形だ。
自社製の薬の販売権取り戻す交渉へ3週間で百頁の書類
「宣戦布告」を受けて、社長は「威信にかけて、クレストールの英社との国内共同販売の契約を獲れ」と檄を飛ばす。すぐに交渉に入るため、3週間で約百頁の書類を用意した。販売権の買い戻し額や国内での販売計画をつくり、社長と2人で相談。何度かの英国での交渉にも、単身か社長と2人でいった。そこで、英社も日本に連携相手を欲しがっていることを、つかむ。
合意への決め手は、英社にもメリットがある形へ、一歩退く戦法だ。英社が払う特許使用料の料率と支払期間で、目先の投資資金が必要だった英社の事情に配慮した。
一方で、売り上げが増えていけば塩野義の利益が増える仕組みにした。自社が得をするばかりの「100対0」でなく、相手も納得する「51対49」の案。日米で新薬の特許の「導出」と「導入」のやり取りに携わり、手代木流の交渉術が身に付いていた。
単品で年間売上高が1千億円を超える薬を、製薬業界で「ブロックバスター」と呼ぶ。日本での共同販売権を得て05年に発売したクレストールは、2014年度に日本で八つ目の「ブロックバスター」となった。
常務執行役員・医薬研究開発本部長として創薬部門のトップに就き、専務執行役員で営業も担当して国内の最前線を回り、「帝王学」を修了。08年4月に社長に就任した。創業家以外から久々の社長で、48歳と前任社長より13歳も若返る。
新薬は原型の化合物が生まれてから市場へ到達するまでに、平均13年から15年かかると言われ、前任社長は「きみがいま社長になって始めたことが、実を結ぶのは私の年だ」と笑った。「やっぱりそれくらいの期間で考えないと、薬屋などやっていられないな」と聞いていた。
いまトップになって17年目。医薬研究開発本部長のときから送り出した新薬は、20年間に九つ。その一つが、昨年3月に一般医療用に提供を始めた新型コロナウイルスの治療薬「ゾコーバ」だ。新型コロナウイルス向け飲み薬としては、世界で3番目の早さで世に送り出した。
もちろん、「世の中には困っている人がいるのだから、それは役に立つでしょう」という母の言葉が、背中を押した。そしてまだまだ押され続け、『源流』からの流れは広がっていく。(ジャーナリスト・街風隆雄)
※AERA 2024年4月29日-5月6日合併号