アストロズ時代のマイケル・ブラントリー(写真:AP/アフロ)
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 2022年に開催されたMLBドラフトでは楽天でプレーしたアンドリュー・ジョーンズの息子ドリュー・ジョーンズ外野手がダイヤモンドバックスから1巡目(全体2位)指名を受けて日本でも話題となった。現在20歳のドリューはまだ育成の段階だが、MLB公式サイトのプロスペクトランキングでは全体で70位、ダイヤモンドバックスだけに限ると3位と将来を嘱望されている。

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 ドリューがメジャーで通算434本塁打を放った父に追いつけるような活躍を見せられるか注目されているが、これまでも日本でプレーした元助っ人の息子たちがメジャーリーグで活躍したケースは決して少なくない。そこで今回はメジャーリーグで結果を残した助っ人の息子たちを紹介したいと思う。

 まず、その筆頭として挙がるのは阪神で活躍したセシル・フィルダーの息子であるプリンス・フィルダー一塁手だろう。父親のセシルは1989年に1年間のみ阪神でプレーし、106試合の出場で38本塁打と活躍すると、その翌年からはMLBタイガースに加入して2年連続の本塁打王に輝くなど、通算319本塁打を放った。

 そして、その息子プリンスは父親に負けずにメジャーで大活躍。2002年のドラフトでブルワーズから1巡目指名(全体7位)を受けると、チーム傘下のマイナーで着実に結果を残し、2005年にメジャーデビューを果たす。メジャーでもすぐさまレギュラーを掴み、3年目の2007年にはリーグトップの50本塁打をマークし、父親と同じくホームラン王のタイトルを獲得した。その後も5年連続で30本塁打以上を放つなど持ち前の長打力を披露し続けた。

 だが、豪快な打撃を支えた巨体(身長180cm、体重120kg超)でのプレーが祟ってか怪我も重なり30歳のシーズン頃から成績が下降。レンジャーズ時代の2016年に首の負傷をキッカケに故障者リスト入りすると、そのままユニフォームを脱いだ。これから円熟期に入るというタイミングでの引退となってしまったが、12年プレーして通算の本塁打数は奇しくも父親と同じ319本だった。

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NPB3球団でプレーした助っ人の息子はメジャーで首位打者に