中森明菜は、42周年のデビュー記念日である5月1日までの毎週水曜日、公式YouTubeチャンネルに動画をアップしている。16日には、自身の誕生日の7月13日にファンクラブ限定のイベントを予定していることが報じられた。始動し出した中森明菜の過去の記事を振り返る。(「AERA dot.」2022年6月10日配信の記事を再編集したものです。本文中の年齢等は配信当時)
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6月19日の夕方「伝説のコンサート『中森明菜 スペシャル・ライブ1989 リマスター版』」(NHK総合)が放送予定だった。この春、NHKのBS4KやBSプレミアムで放送されたものが大きな反響を呼び、地上波で再放送されるというかたちだった。
※19日に起こった地震の影響で放送予定が変わったので、表現を一部変更しました。
この「伝説のコンサート」シリーズでは過去に、キャンディーズやチューリップ、西城秀樹、チェッカーズ、尾崎豊、RCサクセションのライブを放送。このうち、キャンディーズやチェッカーズは解散ライブ、尾崎は人生最期のライブである。
これに対し、明菜の場合はデビュー8周年の記念ライブにすぎない。にもかかわらず、大きな反響を呼んだのは、彼女の人気の根強さに加え、このライブがじつは「解散」や「人生最期」にもひけをとらない歴史的な意味を持つからだ。
開催されたのは1989年4月。会場は、アイドルの野外ライブでよく使われていた「よみうりランドEAST」だ。ここで彼女はそれまでのシングル全曲を歌った。それゆえ、これは80年代の歌謡史の一端を物語るライブになったのだ。
というのも、明菜は82年にデビューして、2曲目の「少女A」でブレーク。85年と86年は日本レコード大賞2連覇を達成した。細川たかしに次いで史上二人目の快挙だ。これはライバルと呼ばれた松田聖子の24曲連続オリコン首位獲得と並ぶアイドルの金字塔でもある。
また、オリコンの年間ベスト10には、83年「セカンド・ラブ」84年「十戒(1984)」「北ウイング」「サザン・ウインド」85年「ミ・アモーレ」「飾りじゃないのよ涙は」「SAND BEIGE」86年「DESIRE‐情熱‐」「ジプシー・クィーン」87年「TANGO NOIR」「難破船」「BLONDE」と、5年間で12曲をランクインさせた。ちなみに、2年早くデビューした聖子は、81年から87年にかけての7年間で5曲にとどまっている。流行歌手としての明菜の充実ぶりがうかがえるデータだ。