沖縄の日本復帰を祝って開催された国際海洋博覧会。その成果と効果については、今もって様々な議論がある。
政府に反対の立場の人々からは、批判的な評価が多い。
I 「失敗」説
(1)予想入場者 450万人に対して実際の入場者は 3,486千人。百万人も少なかった。
(2)このため、みやげ物が売れ残り、関連イベントも赤字が多かった。
(3)主要関連事業、例えば沖縄自動車道が完成せず、不便な行事となった。
(4)ホテルなど観光施設を本土大資本が建設を急いだため、地場の企業が圧迫された。
(5)そもそも海洋博の発想は、沖縄の米軍基地から県民の目を逸らす行事だったのではないか。
等である。
II 「成功」説
(1)沖縄の市場条件と当時の世界情勢や経済環境にもかかわらず、「1975年開催」を実現したのは賞賛に値する。
(2)350万人近い入場者は石油危機下の状況では上出来、当初予想の「450万人」は石油危機以前の「日本列島改造ブーム」を前提としたものだった。沖縄県民の入場者数は人口の2倍に達し、本土からの航空便も90%以上の乗客率になった。
(3)沖縄海洋博収支決算は黒字となった。人気上々だったからだ。
(4)何よりも沖縄観光の起爆剤となった。海洋博を契機に航空会社や旅行会社が沖縄観光キャンペーンをはじめ、大きな効果を上げた。
(5)沖縄の文化芸能の振興にも貢献した。琉球舞踊や沖縄民謡を習う者が増加、器具や衣装も向上した。
等である。
III 結果として
海洋博の評価は分かれるが、はっきりしているのは次の点である。
(1)復帰前後に改新派が主張したような「沖縄からの人口大流出」は生じなかったばかりか、復帰後の人口は急増している。沖縄が「住みたい地域」になったのは海洋博が契機である。
(2)沖縄観光開発の起爆剤としての効果は大きかった。海洋博が終ったあとも沖縄の観光客数はそれ以前よりも高水準に止まり、やがて猛烈に増加する。
(3)沖縄復帰後10年経った1982年の沖縄を訪れた旅行者は 188万人、「復帰から10年で10倍」という目標は達成されなかったが、1988年に達成された。
(4)2014年現在、沖縄の人口は 142万人、復帰当時よりも50万人以上増加している。佐藤栄作総理のいわれた「沖縄の人口を減らすな」は十分に守られた。
IV 数字で見れば
1972年(復帰の年) 観光客56万人、観光収入324億円
1975年(海洋博の年) 160万人
1983年(復帰10年目) 188万人
2013年(最近統計) 658万人、観光収入4479億円
なお、復帰前年の「24万人 100万泊」を10倍にする、という計画を超えたのは1988年だった。
(週刊朝日2015年3月27日号「堺屋太一が見た戦後ニッポン70年」連載34に連動)