作家としてのキャリアと人間としてのキャリア
本作は「誘拐された男児の三年間の空白」という不可思議で魅力的な謎を冒頭に掲げた、ミステリーの形式が採用されている。新聞記者の門田とギャラリストの里穂、二人の探偵役のシーク・アンド・ファインドがその形式を支えている。ただし、読み進めていくうちに予想とは異なる感慨を抱くことになるかもしれない。
その理由の一つは、三〇年前に起きた二児同時誘拐事件の実行犯の描き方にあるのではないか。代表作『罪の声』では最終盤で脅迫事件の実行犯の物語にフィーチャーしていたが、本作は全く異なるアプローチを採用している。
塩田:『罪の声』で実行犯の物語を書いた結論としては、「犯罪者ってしょうもないな」と。あの小説で題材にしたグリコ・森永事件の犯人は当時、見事に警察の裏をかいたと英雄視されるむきもあったんですが、美化する必要は一切ない。脅迫を受けた会社は大きな損害を受けていますし、脅迫テープの声を吹き込ませるという段階で、少なくとも三人の子供を犯罪に巻き込んでいるんです。だから、もうお腹いっぱいやな、と。身勝手な犯罪者に紙幅を割きたくないと思いました。それに、ゲームとしての犯人探しって、今で言うSNSの表層的な盛り上がりに似てますよね。表層ではなく人間の深層にあるものを見つめていくためにも、そこはばっさりカットしたんです。
ミステリーの文脈で言えばクライマックスに当たる部分がカットされた替わりに、何が書かれているのか。三〇年前の誘拐事件によって強制的に運命を変えられた人々、そしてその周りにいた人々の「存在のすべて」だ。時効になった後も個人的に調査を続けていた刑事、息子を誘拐された被害者家族でありながら世間のバッシングを受けた母、縦社会と拝金主義の絵画業界に反旗を翻した天才画家、その画家の才能を温かく見守ってきたギャラリストたち……。そして、強固な絆で繋がれたある“親子”。