ならば、「実」はどこにあるのか? 探究の過程で小説家は、一冊の本と出会った。日本のリアリズム絵画の第一人者・野田弘志の『リアリズム絵画入門』(芸術新聞社)だ。
塩田:リアリズム絵画はよく「写真のよう」と言われるんですけれども、現実の事物をモデルとしながらも、ある意味で写真以上にリアルに、そして写真以上に美しく対象を描いています。リアリズム絵画の手法をリアリズム小説に移行できるかもしれない、という予感が働き、手に取ってみたんですが、興奮しました。学ばせてもらった点は数多くありましたが、例えば小石が目の前に一個ポンとあって、これをデッサンしますという状況があったとする。その時に、石の表面を見て「ここに傷があるな」とか「こんな形なんだ」と思って今まで自分は描いていなかったかと。そうじゃない。この石がここまで来る間に、まず岩があって、水の流れに削られて川に乗って運ばれて、誰かがその川から石を拾って今、目の前に置いた。だとしたら、この傷はここに来る過程のどこかでできたんだ。その背景の部分まで想像することによって、表面を描いているようで、小石そのものを考えていくことになる。これが本当のリアリズムである、と野田先生から学んだんです。
その話から連想したのは、『存在のすべてを』に多数盛り込まれていた、一瞬のやり取りの中に時間の厚みを感じるエピソードだ。例えば、お互い惹かれ合っているのに告白できず、進路の違いで離れ離れになることが確定している少年が少女に渡した、ホワイトデーのお返し。“両親”が“息子”のことを心の底から愛していた、と証明することになるアイテムの存在……。
塩田:確かにそういったエピソードが今回、たくさん入っています。もっとも象徴的なのは、終盤に登場する、絵画は絵の具の層の中に時間が入り込んでいるというエピソードです。あえてきっちり言語化せずに、時間を感じさせることでその人の思いを証明する。あるいは、ある一点しか描かれていないのに、その人の過去と未来がうっすら見える。小説の中では、「『生きている』という重み、そして『生きてきた』という凄み」と書きました。現在、過去、そして未来の軸がスッと通っていると、僕たちはそこに人間の実在を感じるんだと思うんです。