一方で、「第一章――暴露――」にはもう一人の視点人物が登場する。東京・新宿の「わかば画廊」でギャラリストとして働く、土屋里穂だ。百貨店の美術画廊で七年勤務したのち、父が営む現在の画廊へと移った来歴がコンパクトに綴られていった先で、内藤亮=如月脩とは高校の同級生だったという事実が明かされる。門田が読んだのと同じ週刊誌を目にした里穂は、人気画家となった少年の記憶を蘇らせる。その記憶は、初恋の記憶でもあった。

塩田:少女と少年は横浜港シンボルタワーにある「死角」で出会うんですが、当初はもっとロマンティックな場所で出会う予定でした。シンボルタワーはシバザクラの名所だと聞いて足を運んだんですが、台風の影響で植え付けと手入れをやめてしまったらしく、周囲は芝生しか生えていなかったんです。せっかく来たんだからと時間をかけて散策するうちに見つけたのが、「死角」になっているあの場所でした。普通は誰も注意して見ないような場所で出会うのは、それはそれでロマンティックでいいなと思ったんです。現場へ実際に足を運んでみなければ思い付かなかった発想でした。

 里穂はその後、何よりも作品そのものへの興味から、内藤亮=如月脩とのコンタクトを探り始める。無名の画家の足跡を辿る記者・門田との運命はいつ、いかなる形で交錯するのか? その時、あらわになる真実とは何か。

「生きている」という重み 「生きてきた」という凄み

 写実絵画(リアリズム絵画)、あるいは「写実」という思想は、本作において重要なモチーフとして採用されている。ある登場人物はこう証言する。戦後日本の画壇は抽象画が全盛で、写実画家は肩身が狭かった。しかし、今は異なる。「昔から『不景気になると写実が売れる』って言われてましてね。状況が不安定だと確実なものを求める心理が働くのかもしれません」。その証言は別の人物によってこう語り直される――「質感なき時代に実を見つめる」。

塩田:僕がSNSから一切足を洗った理由はそこにあります。以前は情報告知のためにFacebookをやっていたんですが、ネット空間での出会いに疑問が拭えなくなったんです。もちろん、一つ一つのコメントの向こう側に人がいることは分かっているんだけれども、アカウントという使い捨ての仮面に「実」ではなく「虚」を感じてしまいました。

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