松田聖子

ずっと抱いていた大学生活への憧れ

 手紙を読むうち、若松はもう一度会おうと考え、若い女性スタッフに電話をかけさせた。もし父親が出たら、友達だとウソをつくように指示したが、運よく本人が出たという。

 そして、冬休みに上京した聖子と会い、どうにかして父親を説得しようという気持ちを共有。彼女は「歌手になれないなら家出する」「23歳になったら歌手をやめてお嫁に行くからそれまでは好きにさせて」とまで言い、ついに父親が音を上げた。

 その後、高3の夏には自らの意志で東京の堀越高校に転校。卒業を待たずして上京したことが連ドラ「おだいじに」(日本テレビ系)への出演などさまざまな幸運を呼び、1年後にはトップアイドルになるわけだ。

 そんな成功の最大の決め手はおそらく、父親の猛反対だったのではないか。今と違って、子ども、特に娘が芸能界に進むことをよしとしない親が多かった時代。彼女はそれを振り切って歌手になろうとしたことで、よりいっそう頑張ることができ、さらなる強さを身につけた。

 いわば、親の反対をバネにして、飛躍していったのだ。前世代の山口百恵らと比べ、何かと新しい世代の象徴のように見られた聖子だが、やはり昭和の人だったといえる。

 さて、話を現在に戻すと――。

 高校卒業から40年も過ぎてから、大学で法律を学ぼうとした理由は何だろう。18歳でデビューした聖子だが、当時から大学生活への憧れも口にしていた。また、スキャンダル報道に対して芸能人がなかなか反論できないこと、独立して会社を立ち上げたことなどを通して、法律への関心が高まっていったようだ。

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娘を失った悲しみを乗り越える