幼少期の瀧内さん(事務所提供)

富山県の田舎町で育った

 瀧内さんは、富山県の出身。電車は1時間に1本という田舎町で育った。実家は氷見の漁港の近くで「行商のおばさんが家によく来て、祖父が魚を買っていました」と振り返る。そんな瀧内さんが女優という仕事に興味を持つきっかけは、母親の映画好きにあった。

「父が単身赴任をしていて、母と祖父と3人暮らしだったのですが、週に1回くらいは映画を見に行っていました。田舎で近くに映画館なんてないので、車で20~30分くらいかけてショッピングモールまで行って。なので、映画を見るという行為は、とても特別なことだったんです」

 なかでも女優への憧れを強くしたのが、常盤貴子さん主演の映画「赤い月」(2004年公開)だという。

「戦前、戦中の満州に生きる女性の人生を描いた作品なのですが、アヘン中毒になっていく人の姿とか、すごくリアリティーがあって怖かったんです。けど、上映後の舞台あいさつで皆さんが出ていらしたとき、そのすごく晴れやかな感じと映画のスクリーンに映っていた姿との間にあまりにも差がありすぎて、驚いてしまって。当時は中学3年生だったんですけど、役者ってすごいなって思いました」

 大学進学を機に、18歳で上京。大学では教員を目指し勉強をしていた。しかし、熱量はあまり高くなかったという。

「子どもが好きだったので、教員になろうっていうくらいの考えでしたね。何となくの目標っていう感じでした」

 女優への憧れはありながらも、教員という現実的な道へ進もうとしていた瀧内さん。教育実習で地元に帰ったが、あまりの大変さに「私は教師にはなれない」と心が折れかけていたという。

「実習ノートを書くのに必死だったり、教材研究とか指導案の作成に追われたり。それから、これは時代だと思うのですが、何々先生には何々のお茶を出すっていうのが覚えられなくて落ち込んで。初めて社会に出るので、わからないことだらけで、非常に立ち回りが難しかったですね」

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デビュー半年で映画主演