半藤さん、道子さん、そして私の3人でそういう歴史の裏側を確認しあうこともあった。

 そんなことが重なると、やがて道子さんが孫娘として祖父・貫太郎の実像を書き残したいと考えたのか、パソコンで10枚、20枚と書いては講座の折に持ってくるようになった。私も読み、半藤さんも病で倒れるまでは目を通していた。そして次の講座でお会いした時には、ここはこう直したらどうだろうか、この部分は省略した方がいいのでは、という具合に具体的な助言を行った。私自身、初めて目にする貴重な内容もあった。道子さんの文体は生真面目なあまり硬い感じだったのだが、次第に軟らかくなっていった。気負いが少しずつ消えていったとも言えるだろう。

 やがて朝日新聞出版での刊行が決まり、ベテランの編集者の目が原稿の隅々にまで行き渡るようになっていった。道子さんの筆の運びを見ていくと、鈴木家の血筋を引く人たちが何を歴史に仮託しているのか、そして近代史と現代史の分岐点に立つ貫太郎を一族がいかに継承しているのか、最初の読者であった私は大まかにその意向を掴むことができた。つまり「昭和20年8月15日」に日本社会の存亡の危機を救ったのは、紛れもなく鈴木貫太郎と農商省の官僚のポストを離れ、父を補佐することに徹した一の親子の力によるところが大きかったという一点を、歴史に刻んでおくことが重要との認識を共有したのである。同時に天皇を軍部の強硬派から守ったという事実がある。

 結局、この書(孫娘から見た鈴木貫太郎)は次の3点を訴えている。最初に原稿を読んだ私の、いくらかの助言と、最終的には編集者の鋭い指摘をも受け入れて完成原稿にしていった鈴木道子さんの執念は、歴史と向き合っての3点だったという意味になる。
1、近代史における真の武人の人生観、歴史観を探る。
2、天皇制国家の忠臣とはいかなる処し方をするのか。
3、テロ、暗殺の脅しに屈しない「政治家」の生き方を確認する。

 鈴木貫太郎はこの3点を具体的に示して、天皇の期待と要請に応えた。

 それを謙虚に自身の著作で語り、戦後は侍従次長をも務めた子息の一は、天皇への忠誠として語る書を出し、孫娘は祖父の懊悩に身を寄せ、そして父の歴史の表に見えない部分まで語ることによって、天皇でさえ制御できなくなった国家のバランスの復元を明かしている。

 繰り返しになるが、本書の最初の読者たり得た私は、この書が真に国家を救った歴史を明かす著作としての評価を受けることを願い、かつそれに値するとの思いを大切に抱えて、読者に薦めたいのである。

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