『祖父・鈴木貫太郎 孫娘が見た、終戦首相の素顔』鈴木道子著 保阪正康 監修・解説
朝日新聞出版より発売中
もう20年ほど前になるだろうか、ある大学関係の市民向け昭和史講座で一人の女性高齢者(70代)が講演の後に近づいてきて、「昭和20(1945)年8月15日」の敗戦時の首相について、巷間誤解や曲解があるようだがと質された。どのようなことか、という私の問いに、その首相の真意は「戦争を終わらせることが第一であり、そのための道筋で戦争継続の言も口にしなければならなかった」ことを理解してほしいというのであった。私もそう理解していることを史実をもとに解説していった。「鈴木貫太郎さんの関係者ですか」と尋ねると、「はい、孫です」と答える。それが鈴木道子さんとの出会いであった。
鈴木さんはその後も私の他の講座にも恒常的に出席してくれるようになり、千葉県野田市にある鈴木貫太郎記念館の運営などについて、私と半藤一利さんとで相談に乗ったりもした。実は私もかつて日本の敗戦事情を調べるために道子さんの父親の一(はじめ)さんにも会っていた。むろん半藤さんも『日本のいちばん長い日』という代表作を書くために何度かお会いになっている。かつて鈴木首相の秘書官を務めた一さんの証言の中で特に私が関心を持ったのは、鈴木貫太郎が、諸々の辛苦を乗り越えてとにかく敗戦というかたちで戦争を終結させた後に、昭和天皇に辞表を出した時のことである。昭和天皇は「鈴木、よくやった。ありがとう」と感謝したというのだ。
首相官邸に戻ってきた鈴木は、執務室の椅子に座り、やっと心の重荷を解いた。そして秘書の一さんに、天皇の一言一言を説明し最後には、「鈴木、ありがとう」と何度も口にしたと語り、涙を流し続けたというのであった。一さんもそのように私に語りながら、目頭を拭っていたのである。終戦にこぎ着けたという忠臣の最後の奉公が、天皇は嬉しくてたまらなかったのである。私は半藤さんともよくそういう話を交わして、戦争を終わらせるのは大変なことだったのだと知らされた。