「不適切にももほどがある」というドラマがうまれるほど、昭和という時代と令和のいまの常識には落差がある。だが、その昭和と令和の融合体を「ネオ昭和」と名付けて活動のコンセプトにしている人がいる。阪田マリンさんだ。彼女に代表されるように、令和を生きる若者たちの目には、昭和の世界観や存在していたモノは、「古い」のではなく「新しい」と映っているようだ。
なぜそう感じるのか。3月20日発売の『TOKYOレトロ探訪 後世に残したい昭和の情景』が、そんな疑問を阪田マリンさんにぶつけたインタビューを掲載している。本の発売を記念して、そのインタビューを公開したい。
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20代前半の私たち平成生まれからみると、昭和という時代は今より活気があったような気がします。多くの人たちが何かを夢見て生きていた時代でした。人も社会も不安定だったからこそ、そこからなんとか抜け出そうと、一人一人が頑張っていました。だからこそ活気にあふれていたのだと思います。それは、映画を見ても、当時の雑誌や書籍からも、祖母の話を聞いていても感じることです。逆に、今の人たちが求めているのは、「安定」です。時は移ったということになりますね。
時代としての昭和も、いろいろと聞いたり調べたりすると、完全体じゃなかった。今は、恋人がいれば、スマートフォンを使ってSNS(ネット交流サービス)などで連絡を取れるし、ビデオ通話で顔を見ながら話すことも可能です。
それって味気ないと私は感じてしまいます。私たちの年代は感情がどちらかというとフラットです。うれしいとか悲しいとかの、振れ幅も狭いんです。でも昭和の人って、一喜一憂の差は大きかったはずです。小さなことですが、スマホなんかなかったから、好きな人の家に電話をかけて、本人が出たら喜びが今よりもずっと大きいと想像できます。逆に出なかったらすごく悲しくなります。そんな大きな幅が生活の中に存在していました。