「当時は、“男は男らしく、女は女らしく”な時代でマッチョな価値観が強かった。そんな時代に沢田研二は、メイクをし、カラーコンタクトを着けていました。ある意味、ギリギリの線を過激に攻めていて、しかし決して滑稽には転ばず、本当に格好良かったですね」
ちなみにスージー鈴木氏が沢田研二に魅了されたのは、高校生の頃。『晴れのちBLUE BOY』(83年)だったそうだ。
とんでもないロックだ!
「小学生時代は日本レコード大賞に輝いた『勝手にしやがれ』などを歌謡曲として聞いていましたが、沢田研二は、山口百恵やピンク・レディーなどと同列の、スターのひとりという感じでした。
高校二年生のとき、リリースされた『晴れのちBLUE BOY』は、作曲が大沢誉志幸、作詞は銀色夏生、編曲は大村雅朗で、それまでの歌謡曲とは全く異なる、ジャングルビートが鳴り響くもので、まぁ、とにかくロックでした。
フジテレビの『ドリフ大爆笑』とかで『晴れのちBLUE BOY』を歌うんですが、サビの歌詞”言いたいことはヤシの実の中”に、高校生の私は、なんて歌詞だ!? と衝撃を受けました。“ヤシの実の中に何が入ってんねん!?”と(笑)。でも、そんなとんでもない歌詞こそがロックだと思い直し、沢田研二流のロックンロールに気が付いたんです」
高校生時代のスージー鈴木氏にとって、沢田研二はロックそのものだった。
「83年のNHK紅白歌合戦で沢田研二は『晴れのちBLUE BOY』で出場しました。衣装や演出が過激すぎて、歌い終わったときに司会のタモリは“歌う日露戦争”だと表現しました。
その紅白を見たときにも“この人は挑戦しているんだな”と思った。そこから過去の楽曲に遡っていったという感じですね」
そして、音楽的な面だけでなく、沢田研二は生き様でも人々を魅了するとスージー鈴木氏は言う。それは、「自然体」であることだ。