還暦を迎えての東京ドームコンサートでは80曲も熱唱した。細部にこだわった衣装が格好いい=08年

 沢田研二の抜群の歌唱力に加えて、スージー鈴木氏は「千変万化」する魅力をあげる。

「昭和50年代といえば、歌番組の全盛期でした。そんな歌番組に出演するときに沢田研二は、楽曲ごとにさまざまなコスチュームで登場、それぞれにコンセプトがあり、私たちを楽しませてくれました。

 80年代に入ってからはさまざまな若いミュージシャンを抜擢します。佐野元春、大沢(現:大澤)誉志幸、後藤次利、伊藤銀次……などなど。そして同い年の井上陽水。80年代中盤からの”第二次井上陽水ブーム”のきっかけのひとつは、沢田研二がシングル『背中まで45分』とアルバム『MIS CAST』で陽水を起用したことです。

 いまの若い世代から見ても、沢田研二がものすごく豊かな音楽活動をしていたことが、興味深く、面白いのだと思います」

シンプルに理屈抜きの美しさ

 そして、沢田研二の美しさについて、スージー鈴木氏は力説する。

「昭和50年代の沢田研二は、シンプルに理屈抜きに美しい。昭和歌謡の歌い手は、きらびやかでした。例えば西城秀樹や野口五郎、その他どの歌手のみなさんもそれぞれに美しさがあった。

 しかし、沢田研二の持つ中性的な美しさはちょっと別格。洋楽でいえばデヴィッド・ボウイにも通じる、格好良さと美しさの共存。耽美的な部分も含めた理屈抜きの美しさというものが、時代を超越して若い世代の人たちも含めて魅力的に映るのだと思います」

 パラシュートを背負った衣装の『TOKIO』(80年)は有名だが、ド派手な衣装だけでなく、『OH!ギャル』(79年)では、ラメ入りアイシャドーに頬骨の高い位置にチークを入れたメイクを披露。真っ赤なネイルの指にタバコを挟んだ姿は、胸が騒ぐほど美しかった。

『恋のバッド・チューニング』(80年)では、カラーコンタクトを装着した。いまでは珍しくないカラコンだが、沢田研二は40年以上も前に取り入れた。斬新であり、スージー鈴木氏が言う通り、そのころの動画は今見ても理屈抜きに美しいのだ。

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