帯には〈暴走する権力に抗え〉のメッセージ。赤川次郎『東京零年』は警察国家と化した近未来らしき社会が舞台のサスペンスである。
因縁浅からぬ関係にある親世代と子世代の物語が進行する。
生田目健司は19歳の大学生。父の生田目重治は元検察官で、引退したいまも政界やメディアに強い影響力を持つ。一方、永沢亜紀は24歳。昼は保険会社で、夜は弁当屋で働いている。電車のホームから落ちた健司を亜紀が助けたことで二人は知り合うが、健司の名字から、彼の父が元検事の重治と知って、亜紀は逆上する。「あんたなんか、助けるんじゃなかったわ!」。生田目重治はかつて亜紀の父・永沢浩介をおとしいれた人物だったのだ。
いまは介護施設に入っている永沢浩介は、かつては反権力のジャーナリストで、数々の集会にゲストとして招かれる有名人だった。ところがある日、生田目重治に呼び出された浩介は、さる反戦集会についての取引を打診される。加えて同志だと思っていた男女の背信。浩介に着せられた殺人の濡れ衣。
浩介に容疑がかかった殺人事件の被害者・湯浅道男が生きていると知った健司と亜紀は、元刑事の喜多村ともども湯浅の行方を追うが……。
ここで描かれているのは、どこにも正義が存在せず、裏切りが横行し、誰が味方か敵かも判然としない社会の恐怖だろう。権力に不都合な人物は容赦なく抹殺される。メディアも権力の一味である。「当局発表じゃ、誰も信じないだろう。だから、どこかが〈真相をスクープ!〉とやらなきゃならん」「つまり、当局が知らせたい〈真相〉を、うちがスクープするってことですね」
こういう社会にすでに片足を突っ込んでいるんじゃないかと思われる現在の日本。「人の命なんて、今の政権にとっちゃ鳥の羽より軽いさ」とは喜多村の言葉だが、「そんなバカな」なことが現に国会でも起きているわけで。自由なき社会はすぐそこに、という警告の書だ。
※週刊朝日 2015年10月9日号