音楽番組「MUSIC FAIR」の9日放送回に、歌手の松田聖子が4年ぶりに登場する。番組60周年&3000回記念スペシャルで、赤いスイートピーなど4曲を披露するという。歌手として、女性として、時代を超えて支持される松田聖子の魅力に迫った。(この記事は2022年10月29日に配信した内容の再配信です。肩書、情報等は当時)
【写真】デビューシングル「裸足の季節」と、2枚目のシングル「青い珊瑚礁」のレコードジャケット
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1980年のデビューから、数々の伝説を作り続けてきた「永遠のアイドル」松田聖子。その誕生は、一本のカセットテープがきっかけだった。聖子の才能を見いだし、二人三脚で歩んできたプロデューサーの若松宗雄さんに話を聞いた。
赤いペンで<福岡><青島 荻田 蒲池>とレーベル面に書かれた一本のカセットテープ。1978年5月。日本の音楽史に残る歌手の物語は、このテープから始まった。
<蒲池>とは蒲池法子、そう、松田聖子の本名だ。
CBS・ソニー(現ソニー・ミュージックレコーズ)と雑誌「セブンティーン」が共同開催していた「ミスセブンティーン」コンテスト。のちに聖子をプロデュースしデビューさせた若松宗雄さんは、その歌唱コンテスト用に集められたテープの山を一本ずつ再生し、少し聴いては早送りすることを繰り返していた。
「一声、二声聞けば、だいたいわかります。声がよくないなとか、歌はうまいけどいまひとつ魅力がないなとか」
若松さんはそう当時を振り返る。そんな作業の中、早送りの手が思わず止まった。
「どこまでも続く南太平洋の青空と海の世界が広がりました。まさに、『青い珊瑚礁』の世界でした」
彼女が歌っていたのは、桜田淳子のヒット曲「気まぐれヴィーナス」だった。そんな聖子との出会い、そしてスターへの道を二人三脚で駆け上がった経緯を記した若松さんの著書『松田聖子の誕生』(新潮新書)にも、その声の衝撃は、テンション高く活写されている。
<声量もある。かわいさもある。存在感もある。聴いているだけで胸が高鳴り、どこか楽しい場所へと出かけてみたくなる>
この時点では、聖子の顔すら知らなかった。
「本当に声だけでした。その質感、強さ、色合い、メッセージ性、それらが他の子たちとは全く違って聞こえました」
すごい声を見つけてしまった。そう直感した若松さんだが、社内では「悪くはないけれど」程度の反応しかなかったという。