一番忙しかったのは小学生時代
「デビュー当時は、睡眠を取れるのがほぼ車のなかだけみたいな状況でしたけど、苦になりませんでした。私が一番忙しかったのって、実は小学生のときなんです(笑)。たくさん習い事をしていて、一日に4個かけ持ちしているときもありましたね。学校が終わって、ブラスバンドの練習をしてから、塾に行って、その後、そろばんをやって、さらにクラシックバレエのレッスンに行って、みたいな。夏休みも、ブラスバンドとクラシックバレエの夏季練習がありました。毎日へとへとでした。でも、いま振り返ってみると、すべてはデビューのときのためにあったのかなって(笑)」
デビューのきっかけは、高校の文化祭でミュージカル「天使にラブ・ソングを2」に出演し、歌声を披露したことだった。このとき収録されたビデオを見て、レコード会社から声がかかったのだという。デビュー曲「Jupiter」は発売2年半で100万枚を超えるヒットとなった。
ミュージシャンとしてこれ以上ないスタートに思えるが、デビューから2~3年ほどは「チャレンジの連続だった」という。
「自分の理想とする歌を作り上げることができないという苦しみというか……。音大ではサックス専攻で声楽を学んだわけでもなかった私にとって、人前で歌うこと自体がチャレンジだったので、そこにもつらさがありました。下積みが全くなかったので、本番をやりながら修業をしているような感じがずっとしていましたね」
谷村新司さんに誘われて
そんな葛藤を振り切ることができたのは07年。昨年亡くなった谷村新司さんに誘われて参加した、中国でのコンサートがきっかけだった。
「日中国交正常化35周年を記念して、谷村さんがコンサートをされるということで、『中国に歌いに行かないか』と誘っていただきました。現地で実際に歌ったときに、日本語はわからないけれども、涙を流してくださる方々の姿を見て、『ああ、やっぱり私は歌いたいんだ』と思ったんです。それから、歌に向き合っていく勇気が湧いてきました」