今年もオリックスのドラフト1位・横山聖哉(上田西)をはじめ、多くの高校出身選手がプロ野球入りしたが、かつては中学卒業後に練習生として入団する選手もいた。
【写真】「元プロ野球選手」という印象ない? テレビに引っ張りだこなのはこの人
まず昭和30年代後半の巨人には、土山佳晴、佐藤優の2人が中学卒業後に入団し、背番号なしの特別練習生として在籍していた。そして、ドラフト制導入後も、中学からプロ入りした選手が何人かいる。
1968年に近鉄入りした左腕・近藤義之もその一人だ。
「どうしてもプロ野球でやりたいという強い意志と素質のある選手」を対象に球界初の3軍構想を打ち出した芥田武夫球団社長の提唱で、前年8月に入団テストを実施。98人の中から合格した4人のうちの1人が、中原中の近藤だった。
当初は高校に進学して野球を続けるつもりだったが、近鉄が3軍の選手を募集していることを知ると、「同じ野球をやるなら、いっそのこと高校よりプロのほうがうまくなるだろう」(週刊ベースボール1968年7月13日号)と考え、見事合格をかち取ると、高校進学を勧める両親の反対を押し切って、近鉄に入団した。プロ1年目を15歳で迎えたのは、1937年に養成選手として名古屋軍にテスト入団した西沢道夫、05年に米国の高校を中退してドラフト8巡目で阪神入りした辻本賢人らとともに史上最年少である。
近鉄の練習生になった近藤は、毎日2軍選手よりも早くグラウンド入りし、ボール運びやゲージの組み立てなどを担当。走り込み中心の練習をこなしたあと、天王寺高定時制に通学し、学業との両立を目指していた。
入団時に175センチ、68キロとやや細身だった体も、半年で177センチ、70キロにアップし、ダイナミックなフォームにも磨きがかかった。
だが、1軍登板のないまま、71年11月、現役ドラフトの前身にあたるトレード会議で南海に移籍。野手として再出発したが、高校卒業1年目の翌72年を最後に現役引退。時代を先取りしすぎた3軍構想に翻弄された印象も否めない。