ファームで土台作りからコツコツと。ドラフト1位で遊撃として将来を嘱望された根尾に足りなかったのがこの点だった。課題の打力は確実性を欠き、打率が上がらないため1軍に定着できない。ファームでも2割台前半となかなか殻を破れなかった。中日のOBは「首脳陣に聞くと、『教えても根尾は結果が出ないと変えてしまう』と漏らしていた。頭のいい選手なので教えられたことを自分の判断でアレンジしてしまう。でも、教えられた形を突き詰めないとステップアップできない。フォームがコロコロ変わっていたけど、本人に焦りがあったんじゃないかな」と振り返る。
他球団に入っていたら……
天才肌の選手が初めて味わう大きな挫折だったのかもしれない。大阪桐蔭では1年夏からベンチ入りし、2年春から3年夏まで4季連続で甲子園大会出場。2年春、3年春、3年夏で全国制覇と圧倒的な強さを誇った。根尾は投手と遊撃手の二刀流で活躍し、同学年の藤原恭大(ロッテ)、柿木蓮(日本ハム)、横川凱(巨人)と共に「大阪桐蔭最強世代」と称された。投げて、打って、守って。誰もが認める天才的な野球センスは高校レベルを凌駕していた。プロ入り後も明るい未来が拓けているかに見えたが、現実は厳しい。野手で結果を残せず、立浪監督と話し合った末、投手に異例の転身を決断したのはプロ4年目の22年6月。「遊撃で活躍する姿を見たかった」という声はいまだに少なくない。
ドラフト1位で指名された際、中日、巨人、ヤクルト、日本ハムが競合している。与田剛元監督が当たりくじを引き当てたが、他球団に入っていたらどのような野球人生になっていただろうか。