信長の残忍さを示す事件として知られる、比叡山・延暦寺の焼き討ち事件。史料が語る「衝撃」を、信長の部下・明智光秀の視点から見てみたら? X(旧Twitter)で歴史上の偉人による架空のタイムラインなどを投稿し大反響を呼んだネット投稿者・スエヒロさん。NHKのSF時代劇『天下人のスマホ』等にも制作協力として携わったスエヒロさんの新刊『戦国時代のタイムライン』(監修:本郷和人東京大教授)より、二人のやり取りの一部を抜粋・編集してお届けする。
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明智光秀(以下、光秀):比叡山焼き討ちは、1571年に、信長様が比叡山延暦寺のお堂などの伽藍をことごとく焼き払った事件のことですね。信長様の恐ろしさを目の当たりにした事件のひとつです…。
織田信長(以下、信長):フフフ…。まずは焼き討ちの経緯から話してやろう。姉川の戦いでワシに敗れた浅井・朝倉軍の一部が、本願寺の顕如によってかくまわれながら対抗しておったのだな。
光秀:そうでしたね。さらには顕如からの蜂起指令によって、伊勢長島の一向一揆も起きており、それによって信長様の弟・信興様も自害するなど、激しい抗戦が続いていた状況でしたね。
信長:フム。ワシはそれらの敵対行為への報復として「延暦寺焼き討ち」を実行したわけだな。配下の軍勢を使って比叡山全山を一気に攻撃し、焼き尽くしたのだ。神仏を恐れぬこの行為は多くの非難を集めたのだがな。
光秀:…。公卿・山科言継さんなんかは日記で「仏法破滅」「王法いかにあるべきか」と書き記したりしていますしね。。流石にやりすぎた気がしますね…。
信長:めちゃくちゃ評判悪いな…。しかし当時の比叡山の僧については「修学を怠り、一山相果てるような有様であった」と記された文書もあり、仏僧にあるまじき堕落した状態だったとも指摘されておるからな。自業自得とも言えるな。
またその後の研究などで、当時の比叡山の建築物のなかで、ワシの焼き討ちによって焼失したものも確かにあるが、実際には焼き討ち以前から廃絶していたものが大半だったという指摘もあるのだ。だからあまり神仏うんぬんと、気にしすぎるな、光秀。