安倍晋太郎氏(左)と洋子さん。晋太郎氏が抱いているのは晋三氏、洋子さんの前は長男の寛信氏(朝日新聞社)

刑務所に入った父を待ち続けた

 洋子さんは1928年、「昭和の妖怪」と呼ばれた岸信介元首相の長女として生まれた。

「太平洋戦争後、信介さんはA級戦犯として巣鴨プリズンに3年半ほど投獄されていました。洋子さんは山口銀行の田布施支店で銀行員として働き、家族を支えながら父親が帰って来るのを待っていました」(濱岡さん)

 そして51年、洋子さんは新聞記者だった安倍晋太郎氏と結婚。濱岡さんが初めて洋子さんを見たのは、晋太郎氏が衆院選に初出馬した58年ごろだったという。

「下関漁港の魚市場で、魚を入れるためのトロ箱の上に晋太郎さんが立って演説をしていました。洋子さんはそばにいて、いつもニコニコしていましたよ。ウチの父親が魚市場の仲買をやっていた関係で、そういう光景を見かけたのが、私が洋子さんを見た最初でした」

 その後、濱岡さんが新聞社に入社し、晋太郎氏とも付き合うようになったことで、洋子さんとも話をするようになったという。

「私が上京したころ、妻と子どもを連れて、都内の安倍家の家にあいさつに行きました。洋子さんから『ウチは3人とも男の子だけど、あなたのところも3人で女の子もいるんじゃないの』とうらやましそうに言われたのを覚えています。それからだんだんと信頼されるようになりました。二男の結婚式には安倍晋三夫妻も来てくれました」

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