語り手の「僕」こと江沢潤は29歳。仏壇仏具を売る会社の営業マンだ。会社はブラック企業で、めったに契約をとれない潤はパワハラ地獄に苦しんでいる。そのうえ同棲していた彼女までマンションを出ていった。一時は死のうとまで思い詰めた潤は、ある日、縁日の金魚すくいで1匹の琉金を手に入れるが……。
荻原浩『金魚姫』は、金魚の化身が男の家に棲みつく「鶴の恩返し」もかくやの物語である。〈すぐ後ろに、昨日の幻覚と夢そのままの女が、いた。/中国の古めかしい衣裳の裾をたっぷりふくらませて、床にへばりつくように座っている。赤いというより紅い、その衣のせいか、顔がやけに白く、髪は漆黒に見えた〉〈「君は誰? なぜここにいるの」〉〈「お前が連れてきた」「あ?」「お前が私を釣ったのだろう」〉
潤は彼女をリュウと呼び、奇妙な同居生活がはじまった。リュウが来てから潤は死者の姿が見えるようになり、死者の声を聞き取ることで高価な仏壇が次々売れはじめる。
恋人のいないブラック企業にお勤めのサラリーマンには夢のような話ですよね。とはいえ、リュウはそもそも金魚である。人間の姿でいられるのはせいぜい1時間。定期的に水の中に戻らないと生きていけない。潤が古書店で買った『金魚傳』なる古い本によれば〈金魚にとって水は人における大気と心得よ〉。出かけるときには水を入れた4リットルのペットボトルを持参し、リュウの姿が見えなくなれば、ポットの中やバスタブを探しまくり……。
しかも、物語はそこでは終わらない。前世のリュウは古代中国(晋の時代?)の娘であり、憎き相手との婚儀から逃れて沼に飛び込んだのだった。はたしてリュウはなんのために金魚に身をやつし、古代の中国から現代の日本にまで渡ってきたのか。ちょっと大人な『崖の上のポニョ』ともいうべきキュートなファンタジー。中国の故事めいた物語に金魚の歴史までからみ、観賞魚ファンにも受けること必至の一冊です。
※週刊朝日 2015年9月4日号