つまり、投げさせるなということ。しかし、まだ結果を出さないと次がない盛田と谷繁の若きバッテリーは、配球に困るとシュートの連投。通算対戦成績は50打数9安打、あの落合が打率.180、2割に届かなかった。
谷繁が捕手として自信めいたものをつかんだのはプロ8年目の96年。その96年、落合は43歳ながら、106試合出場、113安打、打率.301、21本塁打、86打点の成績を残している。
落合が中日の監督になってから、谷繁(当時中日)は打撃について尋ねた。
「バットのグリップは軽くしか握らない。スイングの最中、インパクトに近づくにつれ、瞬間的に小指、薬指、中指……と巡に握って力を入れていく」(落合)
谷繁の感想は「(普通の打者に)できるわけねーな(笑)」だった。
「対戦打者の中で一番嫌だったのは、前田智徳」
ストライクゾーン9分割の中で、一番打率の低いエリア(例えば外角低め)の確率をさらに下げるため、重要な打席以外でエサをまいておく。一番打率の低いエリアにストレートではなく、ほかの球種を投げさせておく。ほかのエリアにも投げさせておく。それが「谷繁流」の配球なりリードのやり方である。
「僕が対戦した中で一番嫌な打者、イコール一番いい打者だと思ったのが前田智徳(広島)です」
前田は9分割のエリアで、「外角低めはこう」「内角高めはこう」と、それぞれ常にヒットになるようにバットの角度を変えて出してきた。自由自在にバットを操った。打球を全部90度のフェアグラウンドに入れてきた。
「ピンチで打者・前田を迎えたとき、打ち損じを待つ。好調なときは打率5割を覚悟して臨みました」
谷繁のリードをもってしても、前田はそのぐらい天才だったそうだ。
(新條雅紀)