八木清さんが、アラスカやグリーンランドなど極北の地に暮らす、イヌイットなどの先住民族や自然風景を撮り始めてから今年で30年になる。なかでも祖父母と親、子の3世代を写した家族写真は1994年から続く八木さんのライフワークだ。
伝統的な毛皮の防寒服を身に着けて雪山をバックに並ぶ家族がいれば、北海道の海辺の村で撮影したような親近感を覚えるものもある。しかし、一見すると和やかな家族写真の背景には「文化的虐殺」ともいわれる民族同化政策の深い傷跡があるという。
「日本人からすれば、ちょっと信じられないことかもしれませんが、言葉の壁で、祖父母と孫が会話できないことが珍しくないんです」
祖父母と話がしたい
アラスカ州立大学フェアバンクス校でジャーナリズムを専攻した八木さんは、言語学の授業で目にした光景が忘れられない。それは、先住民イヌイット族の言葉、イヌピアック語を学ぶ授業だった。
「授業初日、学生たちが自己紹介をして、なぜこの授業をとったのか、話したんです。先住民のクラスメートが結構多かったのですが、彼らが『自分のおじいさんやおばあさんと話したいから』と口にしたのをよく覚えています」
米国では64年に公民権法が成立するまで黒人や先住民は公然と差別されてきた。アラスカでは先住民に対する同化政策が半世紀にわたって行われた。若者は故郷から遠く離れた寄宿学校で学ぶことが強制され、公用語以外の言葉を使うことが禁止された。それはカナダ北部でも同様だった。
「その結果、先住民はある世代からスポンと抜け落ちるように自分たちの言葉をしゃべれないし、理解できない。彼ら独自の言語が消えてしまうのは時間の問題です」
そんな民族の悲劇の記憶を3世代の家族に重ねるように、大型のフィルムカメラで写してきた根底には言語についての造詣があるという。
「アラスカ州立大学には『ネイティブランゲージセンター』という先住民の言語研究所があるのですが、長年、所長を務めたマイケル・クラウス博士から学んだことが、大きな糧になっています。先住民の歴史的背景や、彼らの文化の核となっている言葉の大切を認識させてくれました」