「一つだけちょうだい」



 それは、幼いゆみ子が最初に覚えた言葉でした。戦時中で食べ物が乏しい中、お母さんはいつも「一つだけよ」と言って、ゆみ子に自分の食事を分けていたので、真っ先にその言葉を覚えてしまったのです。戦況が厳しくなった頃、ついにゆみ子のお父さんにも赤紙が届きます。お父さんが戦争に行くと言うのに、何もわからず、ぐずって泣き出してしまうゆみ子。お父さんは、そんなゆみ子に、一りんのコスモスの花を握らせて汽車に乗り込み――という物語で知られる、児童文学作家・今西祐行さんの『一つの花』。



 戦争による家族の別れを鮮やかに切り取り、平和教育の格好の題材として使われた同作は、小学校4年生の国語教科書にも採用されている名作なので、知っている方も多いでしょう。



 同作は、戦争に引き裂かれる家族の物語でもあるが、同時に"父親の物語"でもある、と指摘するのは、児童文学研究者の宮川健郎さん。宮川さんは、父親の視点で描かれている同作は、子どもの読者にとっては理解が難しく、児童文学として成功しているとは言えないのではないか? とも述べています。



 実は、宮川さん自身、子どもの頃に読んだときは、なぜ同作が名作と言われるのか、わからなかったそうです。しかし、自身が子を持つ父親となってから、大学の講義でこの『一つの花』を音読したときに、捉え方が変わります。



「『一つの花』を音読していたら、なぜか、こみあげてくるものがあって、一瞬、絶句してしまった。三年ほどまえのことだ。つけくわえれば、それは、ぼくのはじめての子どもが生まれて間もなくのことだった。どうにか講義はおわらせたものの、ぼくは、『一つの花』を読みながら絶句してしまった、ぼく自身にひどくおどろいていた」(NHKブックス刊『現代児童文学の語るもの』より)



 知らず知らずのうちに「お父さん」の姿に自分を重ねて読み、思わず胸を衝かれ、言葉を失ってしまったと打ち明けています。



 空襲や爆撃などの直接的な描写こそないものの、父親の肩越しに、家族の小さな幸せを奪ってしまう、戦争というものの残酷さを描く同作。戦後70年が経過し、戦争を体験した世代が少なくなりつつある現代、子どもだけでなく、大人でも『一つの花』の時代背景、作者の思いを想像するのは困難なのかもしれません。同作が、なぜ名作として読み継がれてきたのか、今改めて読み直してみてはいかがでしょうか。