作詞家、ラジオパーソナリティー、コラムニストとして活躍するジェーン・スーさんによるAERA連載「ジェーン・スーの先日、お目に掛かりまして」をお届けします。
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1月とは思えぬ強い日差し。白い雲が綿のようにフワフワと浮いています。さっきまであんなに寒かったのに、飛行機を降りたらもう暑い。Tシャツの下の防寒インナーを脱いで、私は外に出ました。
13日は沖縄県那覇市にお邪魔して講演会を行いました。罹患したインフルエンザもすっかり良くなり、一安心。
私が初めて沖縄に来たのは小学校低学年の頃のことです。いわゆる昭和の家族旅行といった風情でした。首里城で鮮やかな色使いに感激したり、船底に嵌(は)められた透明のガラスから魚の群れを見る船に乗ってワクワクしたり、ハブとマングースの戦いを見てドキドキしたり、初めて食べるサトウキビに夢中になり、噛んでは吸い、噛んでは吸いを繰り返し手放さなかった私。
色とりどりの楽しい旅のなか、ひときわ印象に残ったのがひめゆりの塔でした。第2次世界大戦の全体像を把握するには幼すぎましたが、そこでなにが起こったかは理解できました。年端もいかない女生徒たちが理不尽に動員され、結果的に自ら命を絶つことになった痛ましい、二度と起こしてはならない出来事。「あれは米軍の火炎放射器で焼かれたあとです」とガイドさんが指さした岩肌を見て、言い表しようのない恐怖が襲ったことを覚えています。
果たして、戦争は終わったのか。つい先日も普天間飛行場の移設に関し国による代執行が行われ、県民に選ばれた知事の承認なくして工事が始まりました。78年前も、現在も、負債を沖縄に押し付けているような息苦しさがあります。
私は国民としては当事者なれど、沖縄県の生活者ではありません。住民でなければわからない複雑な事情もある。また、諸問題に即答できる名案も持ち得ていません。しかし、こういう気持ちを持っていることを、着地点がないとわかりつつ、講演会の冒頭でせずにはいられませんでした。