英国在住の作家・コラムニスト、ブレイディみかこさんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、生活者の視点から切り込みます。
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こちらでは「英国史上最大の冤罪事件」が連日報道されている。1999年から16年にわたり、郵便局長らが不当に有罪判決を受けたスキャンダルだ。日本企業の富士通が納入した会計ソフトの欠陥のせいで、700人以上が窃盗、詐欺などの容疑で有罪判決を受けた。刑務所に入れられた人々、破産や離婚、自殺に追い込まれた人々もいる。
この事件は、いきなり発覚したものではない。2009年には「コンピューター・ウィークリー」誌が会計ソフトの欠陥で不当な処遇を受けた元郵便局関係者の記事を掲載していた。被害者の集団訴訟も起き、19年には、高等法院が当該ソフトには「バグ、エラー、欠陥」があり、郵便局での現金不足はシステムに起因しているとの「重大なリスク」を指摘した。
が、なぜか世間に注目されることはなかった。突如として大騒ぎになったのは、今月あるドラマが放送されたからだ。欠陥ソフトのためにすべてを失った元郵便局長を描いた「ミスター・ベイツvs.ポストオフィス」が話題を呼び、警察も本腰を入れて動かざるを得なくなった。
英国には、現在進行中の問題を告発するドラマが多い。例えば、政府のコロナ対応のまずさを赤裸々に描いた「ディス・イングランド」があったし、EU離脱の国民投票で離脱派の選挙参謀がいかにアルゴリズムを用いて世論を操作したか暴露した「ブレグジット」もあった。もっと遡れば、1960年代に女性ホームレスを描いたケン・ローチの出世作「キャシー・カム・ホーム」も当時の人々の福祉への意識を変えたといわれる。
政府のコロナ対策の実態がしつこく調査されていたり、世論調査で過半数がEU離脱を「間違いだった」と言ったり、貧困者への支援の輪が広がっている英国の背景には、こうしたドラマが与えてきた影響がある。
それらは「ああ泣いた」「よかった」と床に就き、明日からまた腐った現実に戻るためのドラマではない。腐った現実そのものを変えるためのドラマだ。こうした番組は「面倒くさいことになるかも」という覚悟がなければ作れないし流せない。英国のテレビを見ていると、自由と覚悟は同義語に思える。
※AERA 2024年1月29日号