大学を出てどうするか––––。最初は経済学者の道を考えたが、魅力を感じない。
「談笑していた経済学者3人のうち1人が帰ったら、残り2人が帰った人の悪口を言ったりするイメージなんです。そんな狭い学者コミュニティーでの評価や大学の人事を気にして生きていくより、経済そのものに関わろうと思いました」
就職先は三菱商事。外為取引を担当する財務部に入れそうなことが決め手だった。
「大学時代は将棋部だったこともあり、自分でやった結果が出るゲーム的な仕事がしたかった」
三菱商事でのちょっとした事件が、転機をもたらす。山崎さんは直属の上司の不正を告発したのだ。上司は関連会社に飛ばされたが、そこはサラリーマンのけんか。山崎さんも別の部署に異動させられた。
「すぐに転職へ舵(かじ)を切りました。入社当初から『つまらなければ辞めればいい』と思っていましたし」
次に選んだ職場は、野村證券投資信託委託(現野村アセットマネジメント)。ファンドマネジャーの仕事だ。
「為替のディーリングは反射神経勝負の面があり、選手生命が短そうだなと考えました。ファンドマネジャーは株式投資のパフォーマンスがよければいい。為替とはゲームのテンポが違うだろうな、と」
ところがここでまた、若かりし山崎さんは「現実」を知ることになる。
「当時の運用会社と証券会社の関係が気に入らなかった。証券会社に手数料を落とすファンドマネジャーが褒められる雰囲気があったりして。証券会社が仕掛け損なったポジションを運用サイドに押し付けられたりすることも。『違う』と思いました」
山崎さんの文句は筋が通っており、正義感の強さを感じる。
勤めた13社で一番よかったのは
投信会社を2年で辞め、生命保険会社の運用部門に転職した。ここで「中学時代以来の、人生2回目のボトム」期に突入する。
「人間関係の波長が合わなかった。毎日、定時までがまんして、体調が悪くなりそうでした。社を出ると映画館に向かい、任侠(にんきょう)ものを見て気分転換。高倉健さんのヤクザ映画はほぼ全部見ました」
山崎さんがこれまで所属した企業は13社。居心地が一番よかった会社は?