理路整然と「経済の真実」を語っていた(撮影/小山幸佑)

「ビジネススクールなどではマーケティングの技術を素晴らしいものであるかのように言いますが、要は『できるだけ高い値段で多く売るテクニックの集大成』。そんなマーケティングに毒されないようにするためのサービスです。よさそうでしょう?」

「先生泣かせ」な子どもだった

 北海道生まれの65歳。子どもの頃は、「先生泣かせ」なことばかりしていた。優秀すぎて周囲とぶつかる「浮きこぼれ」(=吹きこぼれ)という言葉のない時代の話だ。

「先に希望を持てない人生のボトム(底)が2回あって、1回目が中学時代でした。教師と折り合いが悪くて」

 卒業式の予行練習で、行儀の悪い生徒に体育教師が手を上げた。山崎少年は「教師として口で説明する能力がないから手が出たんだろう。何か反論できるなら、してみろ」。

 体育教師は「ちくしょう」と捨てぜりふを残してその場を去ろうとした。間髪を入れず、山崎さんは「逃げるな!」と。

 陰で教師に「山崎みたいな生徒が東大に行ったりするんだよ、だから文部省はダメなんだ」などとつぶやかれていたそうだ。

「カミュやサルトルを読んでいましたが、話の合う友人はおらず。退屈だから教師をからかって、親が呼び出されたり」

大学で年下の彼女ができた

 中学校は居心地のいい場所とは言えなかったが、試験の点は取れた。地元公立トップの札幌南高校を経て、中学教師の予言(?)通りに東京大学経済学部へ進学する。

「経済学に興味を持ったのは高校3年生のときです。夏休みにサミュエルソンの『経済学』を、冬休みにフリードマンの『資本主義と自由』を読みました。どちらの著者もノーベル経済学賞を受賞していますが、主張がかなり違うのがおもしろかった」

 比較的裕福な大学時代を送っている。

「父が仕送りをしてくれたので、青山にアパートを借りて、六本木のバーにボトルが入っていて。他の大学で1学年下の彼女ができました。当時の東大経済学部は勉強が緩くて、サミュエルソンとフリードマンの知識で十分、卒業できたんですよ」

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