被災地の風景に感じた美しさ
今回の展示を締めくくる作品の一つ、「ATOKATA」を発表した際も周囲からこうくぎを刺された。
「この作品についてはあまりしゃべらないほうがいいですよ」
写っているのは多くの写真家が訪れた東日本大震災直後の東北地方沿岸部。しかし、篠山さんのような視点で写した作品は見たことがない。
「当時はほんと、何にもわからず、現場に行ったんですよ。とにかく、見たことのない光景だった。初めは、撮ってもいいのかなとか、撮ることに意義があるのかな、と思ったり、おびえたり。でもね、結局、4回行くんです」
何が篠山さんを引きつけたのか?
「こんな言い方をすると、被災者に対して失礼な言い方かもしれませんけれど」と前置きしたうえでこう語った。
「なんか、すごい光景、というのを通り越してね、美しさというものを感じたんですよ。最初は無残で、残虐な風景だと思ったけれど、それがだんだんと、自然が自らを壊し、つくり出した新しい風景じゃないかって。こんなふうに自然は新しい世界をつくり上げていくんだなと」
さらに、「現代美術の美術館の中を歩いているような気もした」。
「ほんとうにそうなんですよ。いや、現代美術の作家は負けているなと思った。こんなにすごいことできないじゃん、と」
自然を畏怖する気持ちとともに、尊大ともいえる自然の力、偉大さを感じた。
「それを撮っておきたいな、と思って、シャッターを切ったのがこの作品。でも、褒めてくれた人はほとんどいませんよ。やっぱりね、社会の風潮には反するだろうし」
「家宅捜索に入られたりもしますよ」
そこで思い出したのが以前、同行取材した際、東京都写真美術館の前でヌードを撮る篠山さんの姿だった。周囲の目が気になり、ヒヤヒヤした。
そんな思い出話をすると、「もちろん、法に触れるということとか、それを破るとか、そういうことは目的にはやっていませんよ」と話す一方、「ここまでだったら許してくれるだろうとか、見逃してよ、とか、どこかでそう思いながら、撮っていた」と漏らす。
「でもね、長いことやっていると、一度やそこらは家宅捜索に入られたりもしますよ。それはしょうがない。そういうときは謝る。罰金も払うの」
そう言うと、顔をほころばせ、お茶をすすった。
「やっぱり、篠山というのは、時代が生んだ、変な写真家なんですよ」
(文=アサヒカメラ・米倉昭仁)