江東区長選で12月9日、大久保朋果氏(左)の応援演説に立つ小池百合子東京都知事
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 作家・北原みのりさんの連載「おんなの話はありがたい」。今回は江東区長選で考えた、女性候補者の背後にいる「男性たちの思惑」と、選挙権を持つ市井の女性たちについて。

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 あまり大きな声では言えないことだが、と言って書くのだけれど、私は時々、豊田真由子元衆議院議員のマネをするのである。街で男性にわざとぶつかられたとき、テレビで意味不明な女性蔑視発言を耳にしたとき、そんなときは反射神経的に心の中で叫んでしまう。さぁ、ご一緒に、「ちがうだろ、○×#$S#!!」。

 そしてこれもあまり大きな声では言えないことなのだが、私は時々、丸川珠代参議院議員のマネもするのである。どうしようもないセクハラ発言をする男性に向かって、またはコンビニなどでエロ雑誌(なくなったとは言われてるけれど、ビキニ女性の表紙はデフォルトでありますよね)を見つけたときなどに、思わず反射的に口の中でつぶやいてしまう。さぁ、ご一緒に、「愚か者めが!」。

 しつこいが私は、三原じゅん子参議院議員のマネも時々しちゃうのである。男にはしないのに、相手が女だと嬉々として「教えよう」と自分の知識をひけらかすだけの会話をするような男性に出会ったときなどは、はぁというつまらなそうな顔をしながら心の中で。さぁ、ご一緒に、「恥を知りなさい!」。

 女性ジェンダーは女に「怒る」ことを封じさせる力がある。女は社会制度や文化や歴史に抑圧されてはいるが、女を最も抑圧するのは内なる女性ジェンダーである。そういう意味で、自民党の女性議員ほど「切れ語録」を私に教えてくれる存在はない。

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自民党は保守オジサンの巣窟