女たちは、男性が好む女性というものがどういう女性かを熟知している。まさにそれが立憲が選ぶ、清潔感のあるキラキラした雰囲気の女性である。選挙権を持つ市井の女たちは、女性候補者の背後にいる「男性たちの思惑」に敏感なのだ。オジサンたちは「女性」や「若さ」を商品としてアピールしたがるが、結局中身のところは何も変わらないことを女性有権者は気がついている。清潔感よりも生活感だ。キラキラしてるよりもギラギラしてるくらいでいいのだ。そんな女の議員の方が女にとっては魅力的だということが、リベラルな男たちにはわからない。
その点で、百合子の空気の読み方はやはり侮れないのであった。都知事は今回、キラキラした雰囲気で候補者を選ばなかった。30年間都庁で仕事をしてきた50代の女性を選んだ。地味な雰囲気だけれど、重みがある大久保氏である。本人がそういう人かどうかは知らないが、“そういう路線”での戦いだった。今、自公も国民だって都ファだって、別に追い風など吹いてやしない。そういう中で、政治家二世候補者でなく、派手な若手男性候補者でなく、キラキラした若手女性候補者でなく、重みのある50代の女性を推したことが、圧勝の理由の一つではないかとも思う。百合子の「市井の女たちの気持ちを読む力」は、やはりすげぇ……のである。
ちなみに江東区長選挙、維新推薦の候補者がぼろ負けであった。なんと供託金が没収される事態までのぼろ負けである。44歳の男性医師で維新らしい改革をうたう候補者だったが、そういう男性候補者よりも、有権者は、重みのある実のある女を求めたのだ。立憲をはじめとするリベラル野党からただよう男くささ、維新の骨の髄からのマッチョが全く響かなかった江東区長選挙、女帝の圧勝だった。