
カッコいい仕事がしたかった
1975年、大阪生まれの渋谷さんは高校時代に戦場カメラマン・一ノ瀬泰造の著書と出合い、憧れた。
立命館大学に在学中、1年間、ブラジル・サンパウロの法律事務所で働きながら写真を撮り始めた。1999年、国際NGO「国境なき医師団」主催のMSFフォトジャーナリスト賞を受賞。本格的に取材活動を始めた。
「あのころは戦場カメラマンに対する憧れとか、冒険心があったんです。国境を越えて世界中を飛び回り、カッコいい仕事をしたいな、と思っていた」
しかし翌年、アフリカの紛争国、アンゴラを訪れると、そんな思いは木っ端みじんに打ち砕かれた。
「もうショックで、写真なんて撮っている場合じゃないと思った。それから写真に対する前向きな気持ちがなくなっていった。写真を撮るのがしんどくなった」
アンゴラで何を見たのか?
「飢えた人がたくさん死にました。目の前で。それにカメラを向けるのって、異常なことだと思いました。ぼくはそういうものを撮りたくて写真家になったのに、彼らにカメラを向けることがすごく怖くなった。そういう現場に憧れていた自分も嫌になった」

お前はここへ何をしに来た
取材現場に足を運ぶたびに、「お前はここへ何をしに来た」という相手のまなざしに突き刺された。人道支援の仕事をしようと、本気で考えた。撮るよりも救う仕事すべきではないか。そんな葛藤が30代半ばまで続いた。
「ぼくは、ふつうだったら受け入れられないようなことをしている。それだけは自覚しておきたい。今でも人道支援の人たちと一緒に撮影の仕事をすることがあるのは、そういう後ろめたさがあるからだと思います」
ちなみに、渋谷さんは自分をジャーナリストだとは思っていないという。
「情報を伝えるために写真を撮っているつもりはないです。自分が感じたことを撮影して、それを『みんなはどう思う』みたいな感じで見てもらう。そして考えてもらう。答えは出ないかもしれないですけれど。それが自分の写真のスタイルだと受け入れられるようになったのは40歳を過ぎてからですね」